山の話②(猟編) その他

 昨日の朝一は未明に行われる伐採現場の偵察へ。かなり骨が折れるねぇ~、と、上司と打ち合わせ。まぁ、上司は若いので、ちゃんと考えていることでしょう。その後は、あまりぱっとしない作業で、午後からは本格的にソーチェーンの目立てをしてました。作業場の2階でやってましたが、かなり暑くてカメムシがぶんぶん飛んでました。

 山の話②ですが、今日は猟の話などをしていきたいと思います。
 銃は29歳から30年所持してました。数年前に返納しています。長い期間でしたが、獲物の先細り感があり、このまま所持していても無益であろうという事で止めたのです。
 猟で行く山歩きというのは、獲物の種類によって楽であったり重労働であったります。晩秋11月15日から解禁となりますが、その時点ではまだ雪はありませんから鳥猟(カモ)となります。基本的に車で池回りやダム回りをし、居れば開始という段取りになります。主にカモ猟となるので、単純に山坂は無く平坦な場所から潜んで近づき捕獲というスタイルです。なので山というジャンルではないかもしれません。
 カモ猟を2週間くらいすると、山には雪が降り積雪が嵩んできます。ただ、1月にならないとなかなか藪が埋まらず、ウサギを発見するという事が難しいのです。
 雪山(ウサギ猟)で歩く距離はさしたるものではありませんが、私は仕事の休みの関係で単独猟が多かったのです。その場合、カンジキは一人ラッセルとなるため、長い距離を歩くのは無理です。おおむね、今まで捕れた実績のある山域を一つのコースとして決め、そこを周回するという山行でした。もちろん、ウサギの存在がなければコース取りを変えたり、立ち止まって痕跡を確認し変更という事も多々ありました。
 ウサギ猟で歩く行程は、午後3時には自宅に帰れるようにしてましたので、長くて7時間くらいでした。ザックには1食半くらいの食糧と水分500CC程度(足りなければ雪で補充)、気候の変動に伴う簡易が着替え、かわはぎナイフ(主に内臓を除去するためのもの)、双眼鏡、サングラスなど、割と軽易な服装と装備でした。これは、獲物が数頭あった場合に、背負って帰ってこなければならずその空隙を残すために軽微な装備となるためでもあります。
 例年ですと、今年のような気候はあり得ず、3月頃になるとネズモチ平まで足を伸ばすことが多かったですが、途中で天候が急変し展望台近くで視界がまったくなくなったことがありました。ネズモチ平は特徴の無いだだっ広い地形ですからわかりずらく、しばらく困惑していましたが冷静に辺りを観察すると、うっすらと白崩沢の粘土質の岸壁が確認できそこを目指して下降したという事がありました。
 初心者の頃は、やたらウサギの足跡を追い続け、気がつくととんでもない急峻な尾根筋に出てしまい下降するのに冷や汗をかいたこともありました。ある程度締った雪の上に新たに新雪が降り、クラックに腰まで入ったこともありましたが、事故もなく猟人生を送れたのは運が良かったという事でしょう。
 初猟の鴨猟で始まり、有雪期はウサギ猟、そして残雪期には熊猟という年間サイクルでした。熊猟では単独はあり得ず、すべてチームで行います。リーダー格が持ち場を決め、猟場で熊を確認し、居れば捕獲作戦が練られ敢行というスタイルでした。
 熊の冬眠場所は昔から言い伝えられていた山域にあり、その地区をまず足で散策するという手法がとられました。歩程距離としては最も登山に近いものがあり、浅草岳鬼が面山山塊では標高1200m程度まで。浅草岳の山塊では大三本沢源流を上部として、その下流の左沢源頭から木の根峠・田代山界隈のゆるやかな尾根の地区。一方では、下黒姫沢から黒姫、反対側のジャクズリガッチからサッパタ沢流域の官民界尾根。守門では大雲沢とエラオトシ沢の駒の神へ伸びる主尾根。登山道から本高地沢などの流域山塊。足沢山を主としたその流域一帯の山地。など、今の一般登山ルートから逸した山歩きが多く、木の棒での急な斜面のグリセードなど、多くの経験を積むことができました。 
 熊を見つけるまでは、登山の様相でのんびりと双眼鏡で熊を探すというスタイルですが、一旦実体を確認できるとすぐさま捕獲の体勢に入り、各所に人が配られます。当時、私はまだ若く、「お前はあっちの山まで走って待機してろ」などの場面が多く、そういう場合は心臓が飛び出すかのような激務でした。少し息を整えていると、「まだ、着かんかや」と無線が入り、ラーメンの出前のように、「もうちょっとだ」などと適当にごまかしていたものです。
 熊はさほど多く捕れるものではなく、私が落とした熊は2頭でした。猟の晩年は、仕事の関係でチーム参加が不可能であったため、後半の6年くらいは全く出猟することはありませんでした。
 猟をしなくなった私は、山に関してはとてもスリムな思考になり、銃を持って山に分け入りつつ熊の猟も兼ねるというようなことはなく、ほぼ山スキーであったり、登山というスタイルになっています。面白いのは、猟をやっているときは自然の不思議な現象とか景色のすばらしさなどは全く感慨もありませんが、ただ山のみを目指す登山は色んな発見があり、いろんな景色を見る機会が多いという事です。また晩秋や初冬に鴨猟をしているときに、ときおり見られるナメコの群落などには目もくれず、ひたすら猟という行為に没頭していました。
 熊狩りで、毛猛や黒姫という存在を知り、そこから派生して今の私の登山スタイルができたのだと思います。また、それらのさらに基礎的な部分は少年期の雪山歩きであったり、野遊びや、魚突き。そして山菜採りやキノコ。猟など。そういうものがベースになって今の私の山のスタンスがあるわけですが、決してスキル的に優れている部分はありません。特定の場面に即した山の様子がわかるといった程度のものですから、あまり応用性は無いものと思われます。

 こんな感じで、最近は饒舌にブログを日々更新しておりますが、個人的にちょっとした理由があってのことですので、鬱陶しい方は適当にスルーしていただければと思います。本題の山のことなど聞きたい方は直接メールにてご連絡いただければと思います。当宿を利用するしないというのはまた別なお話なので、そこらへんはお気を使わずにメールくださって構いません。
 山の話は今日で2回目で、山菜採りやキノコ採り、猟など、登山の域ではない部分から触れております。今後は、当サイトのアドレスをリンクし、過去の思い出深い山旅を紹介していきたいと考えています。

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この記事へのコメント

鰤鯛鱒鮎
2020年03月28日 08:55
 毛猛山塊や黒姫・破間川源流部などは、まさに猟師さんのエリアなんですね。これらのエリアでは地名が妙に具体的で細かいのも、場所を特定するのが猟に不可欠だったからかしら。当地で言うところの「○○ガッチ」という表現も、そうした地形がクマの移動ルートであり、猟の中で最低鞍部(ガッチ、源頭部)を越える必要があったからでしょうか。
 今ではツキノワグマは裏山に棲む存在になりつつありますが、時代の変化は大きいですね。
 
asai
2020年03月28日 09:36
 おはようございます。
 特に熊狩りで困ったのは、地方名のピークなどですが、それはまぁさほど多くなく、大川ガッチ(守門袴越から黒姫一帯)。大川は破間川の事です。大曾根と呼ばれる地区は、左沢谷地の上部の緩い尾根筋。など、差ほど種類は多くありませんでしたが、沢の名前がたくさんありまして、そこを把握する必要に迫られました。かつて、こちらの地域に宿を転々を渡り歩いた釣り師の方が破間川水系の昔からの沢名を入れた地図を各宿に配布してくれ、大いに助かりました。これは主に故浅井保丸氏あたりから聞きながら作成したものだという事で、信憑性は高いものと思います。国土地理院の地図と照らし合わせながら、手帳などに書き込み携行したこともありました。
 今年のような少雪で動物たちの生息圏にも異常が見られ、福田石材の急峻な雪崩痕の灌木の冬芽を求めて危険なトラバースの必要もなくなったカモシカたちは平然と沢筋のチシマザサを食べています。こんな冬ですから、これからの春や夏はいったいどうなって行くのか?あるいはそこに暮らす植物や菌類、そして動物たちへの影響は?など、不謹慎ですが好奇心のようなものも自分の中に存在しています。
2020年03月29日 05:39
気持ち玉、ありがとうございます。