未来から過去へ流れる
昨日は予想通り暇でhpのリンク移転作業もはかどった。
喜ぶべきか悲観すべきかは問題ではなく、喜びを選ぶほうが心にダメージはない。
今、一番苦慮しているのは、細かい山行きのファイル(約500個)を1個づつ新サーバーのトップなどにリンク替えをしているのだが、1年分をやると1時間半も掛かってしまう。
その間に、肩は凝るし、目はしょぼしょぼしてくるし、なんと言っても疲れる。
聞く所によると、そういう大変な作業を一発でやってくれるソフトがあると聞くが、1個1個のファイルもまたそれぞれに思い出深いものがあり、「あぁ、あの時の守門か・・」と各山行きを鮮明に思い出すことができる。どの山行きも全て記憶にくっきりと残っているから不思議だ。
その時、心は如何だったか、うきうきしていたか、意気消沈しながら登っていたかななど、全て心の状態までも思い出すことができる。
とにかく、そんな地道なことを繰り返し、1年分が終わるとほっとする。
既に、今年の先月までの分と、2008・2007年分はリンクを変えた。
あと7年分、まぁ、ソフトを買ってまで如何のこうのすることもなく、終了できるであろうと思っている。
ビルダーを操っていると、ほかにサイトが気になり突拍子もないサイトが出てくることがある。あるサイトが気になりちょっと見てみた。
時間の流れについて述べられてあった。
時間というのは何たらかんたら・・・、化学的な説明も有ったが、普通過去から未来へと流れていくのは誰も周知のことである。
単に、区分けすれば、過去・現在・未来と三区分される。
時間的に一番短いのは、今である。
今こういう下らないブログを書いているが、キーボードを1個打つごとに時間は過去に流れているのである。
人が活動、或いは生きていくには、時間を逆に考えるという言い方がしてあった。
つまり最初に未来が存在する・・というもの。
予め未来という現象は既にそこにあり、必然的に来るであろう未来に対し、私達は日々を送り、日々の考え方をし、生きているのであるという考え方である。
そして、当然の如くそこに過去はおのずと生まれる。
だとすると、未来が決まっているのなら、逆に現在を変える事で未来の結果を変えることも出来るという、言ってみれば啓発的な発想である。
そう考えると、1日という小さな空間が貴重に思えてくるのだ。
決まっている未来に向けて、パチンコをし、ギャンブルをし、アル中になり、タバコを脂が出るほど吸い、ぐうたらにテレビを見て過ごす。
それを考えると、ちょっと恐怖心というか、気付かされる事が多々あった。
22日にシロを捜索してから、まったくといっていいほど外に出ていなく、今日は雨も降っていないのでシロを連れ出した。
夜半から強烈な雨風で、酷い嵐のような天気だった。
朝は、名残りの風が吹くものの、少し青空の下に雲がするすると流れ、なんだか気分は悪くない。
至る所に風で飛ばされたものが飛び散っていて、さながら初夏の嵐といった感じであった。
夜、玄関にアマガエル君が張り付いていたが、これがかなり好きである。
ヒキガエルは気持悪いがアマガエルは可愛い。
よく話しかけるのだが、イニカイサナイ(←字がわからない)カエル君だ。
喜ぶべきか悲観すべきかは問題ではなく、喜びを選ぶほうが心にダメージはない。
今、一番苦慮しているのは、細かい山行きのファイル(約500個)を1個づつ新サーバーのトップなどにリンク替えをしているのだが、1年分をやると1時間半も掛かってしまう。
その間に、肩は凝るし、目はしょぼしょぼしてくるし、なんと言っても疲れる。
聞く所によると、そういう大変な作業を一発でやってくれるソフトがあると聞くが、1個1個のファイルもまたそれぞれに思い出深いものがあり、「あぁ、あの時の守門か・・」と各山行きを鮮明に思い出すことができる。どの山行きも全て記憶にくっきりと残っているから不思議だ。
その時、心は如何だったか、うきうきしていたか、意気消沈しながら登っていたかななど、全て心の状態までも思い出すことができる。
とにかく、そんな地道なことを繰り返し、1年分が終わるとほっとする。
既に、今年の先月までの分と、2008・2007年分はリンクを変えた。
あと7年分、まぁ、ソフトを買ってまで如何のこうのすることもなく、終了できるであろうと思っている。
ビルダーを操っていると、ほかにサイトが気になり突拍子もないサイトが出てくることがある。あるサイトが気になりちょっと見てみた。
時間の流れについて述べられてあった。
時間というのは何たらかんたら・・・、化学的な説明も有ったが、普通過去から未来へと流れていくのは誰も周知のことである。
単に、区分けすれば、過去・現在・未来と三区分される。
時間的に一番短いのは、今である。
今こういう下らないブログを書いているが、キーボードを1個打つごとに時間は過去に流れているのである。
人が活動、或いは生きていくには、時間を逆に考えるという言い方がしてあった。
つまり最初に未来が存在する・・というもの。
予め未来という現象は既にそこにあり、必然的に来るであろう未来に対し、私達は日々を送り、日々の考え方をし、生きているのであるという考え方である。
そして、当然の如くそこに過去はおのずと生まれる。
だとすると、未来が決まっているのなら、逆に現在を変える事で未来の結果を変えることも出来るという、言ってみれば啓発的な発想である。
そう考えると、1日という小さな空間が貴重に思えてくるのだ。
決まっている未来に向けて、パチンコをし、ギャンブルをし、アル中になり、タバコを脂が出るほど吸い、ぐうたらにテレビを見て過ごす。
それを考えると、ちょっと恐怖心というか、気付かされる事が多々あった。
22日にシロを捜索してから、まったくといっていいほど外に出ていなく、今日は雨も降っていないのでシロを連れ出した。
夜半から強烈な雨風で、酷い嵐のような天気だった。
朝は、名残りの風が吹くものの、少し青空の下に雲がするすると流れ、なんだか気分は悪くない。
至る所に風で飛ばされたものが飛び散っていて、さながら初夏の嵐といった感じであった。
夜、玄関にアマガエル君が張り付いていたが、これがかなり好きである。
ヒキガエルは気持悪いがアマガエルは可愛い。
よく話しかけるのだが、イニカイサナイ(←字がわからない)カエル君だ。
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