山の話⑲ 八十里越え

 今ほど数えてみたら、八十里越えを通しで歩いたのは37回でした。その他にも全コースの1/2づつ軽整備やコースチェックなどを行っていますから、相当な数関わってきたという事になります。
 最初に歩き始めたのは、2003年頃でしたが、実際にはその1年前か2年前に雨の中下見に来たのですが、守門川添いにそのまま平行移動し迷ってしまい、撤退。そして2003年に平井氏と森山氏と共にようやく念願の八十里初踏破をすることができました。
 当時、八十里の道は荒れていなく、各所の崩落も少ないことからずいぶんコースタイムは短縮できました。また、大麻平への車乗り入れ手続きも容易であり、お気楽な八十里越だった気がします。
 2004年下越水害で、吉ヶ平手前の道路が全壊し車乗り入れができなくなりました。翌年様子を見に行った時は崩落地を何とか渡り高清水沢までピストンしました。各所が崩落し、特に椿尾根手前の地形は全く変わってしまっていました。そこを適当に鉈目を入れたのが私だと思います。また、椿尾根から先も大崩落が発生していて、相当な高巻きをする必要が生じたのがそれ以降となります。
 2005年あたりから再びお客様の山先をするようになり、吉ヶ平手前の網張林道分岐から歩いたり、遅場農道から入ったりしていました。その後、2007年に吉ヶ平手前に橋が架けられ、3年ぶりに車で入れるようになりました。
 2011年、新潟福島豪雨で八十里越えどころか浅草岳ネズモチ平までの間も決壊し、大変な年でした。秋の登山道除草は危険のためやらない方向で当該組合は暗に決めていましたが、私は自分の担当箇所だけは終わらせたいと思い遠い道のりを歩き、なんとか終わらせたのでした。 
 明けて2012年、まだ吉ヶ平までの間は車乗り入れができない状態でしたので、なんと遅場のゲートからひたすら歩いて吉ヶ平にう向かいました。この年はその後2回ほど山先を行い案内させていただきましたが、両日ともに遅場農道から吉ヶ平まではプラスの歩きとなりました。
 2013年には再び吉ヶ平まで車で入れるようになったのですが、山道は草に覆われ、状況は良いものではありませんでした。
 2014年は私の全治2か月のけがで八十里はパス。2015年も無しで2016年より再び実施しましたが、参加者の怪我などで田代平撤退となりました。
 2017年は秋に二桁数の山先をお願いされていまして、その前に一度整備を兼ねて下見を行いました。その時は、刈り払い機を稼働させながら八十里踏破をしました。
あとにも先にもこんな奇特な輩は私くらいなものだと思います。

 八十里越はこの先どうなるのか?ずっと登山道は持続していけるのだろうか、など不安はありますが自分の体力と折り合いをつけて、やれなくなる時が来るまでやるつもりです。

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この記事へのコメント

2020年04月15日 04:37
気持ち玉、ありがとうございます。