山の話⑤ 他

 今月で今日が最終日となりました。先月の他職場での勤務のストレスから解放され、あっという間にもう月末となりました。いろいろとありましたが、無事明日からは新年度ですね。
 それはそうとコントの大御所志村さんがなくなったという事ですがこれには驚きました。子供の頃からの「8時だよ全員集合」が楽しみで、荒井注さんが脱退した後に、見習いだった志村さんが抜擢され、そのままレギュラーになったといういきさつだった気がします。その後は、加藤さんとの掛け合いが素晴らしく、ドリフの顔となりました。なんとか、終息となるように祈りたいものです。


 山の話④では、毛猛山の初登山について書きましたが、今日も毛猛つながりで書いていきたいと思います。
 毛猛山は私にとって楽しいとか行きたくてしょうがないとかという類の山ではなく、どちらかというと「行くしかない、行かなければならない」といった修業のような山塊でした。なぜそうなのか?と問われれば、ある種の信仰登山的なものだったのかもしれません。ですから、年に一度は訪れたいと思っていました。
 現在は送電線の鉄塔が見えるあたりの尾根から足沢山に登るコースがとられますが、昔は官民界杭のある尾根から登るのが定番で、熊狩りの拠点ともなり、かなりしっかりした道がありました。また、その都度鉈目が入れられたりし、歩きやすい道が足沢山先の内桧分岐あたりまで続いていました。熊狩りの時期は内檜方面にベテランたちは熊を探しに行ったものです。
 二度目の毛猛山塊への山行は、2000年の次の年の2001年でした。この年も雪が多く、茂尻橋先のところで通行止めとなっており、そこからh氏と歩いて足沢山取り付きまで行きました。前年度毛猛山に行ったので、今度は檜岳を目指そうという事になったのです。
 残雪はたっぷりありましたが、やはり百字が岳から少し下ると小さなピークがあり、そこの密藪が酷かったのを記憶しています。とにかく残雪が豊富で、アズマシャクナゲが咲き乱れ、素晴らしい山行きでした。 

 毛猛山へは2002年に豊栄のN氏とともに足沢山経由で、太朗助山、百字が岳、中岳、毛猛山、そして前毛猛山に下山するという周回コースを取りました。この時は後半に天気が崩れ、N氏の機転が利いて無事に下山できました。屈強のN氏が居たので、私は気分的には楽な周回でした。
 翌2003年は、このN氏の提案で前毛猛山から毛猛山を経由し、一の柴山~二の柴山~大鳥岳~赤柴山~未丈ヶ岳~日向倉山~赤崩れ山~銀山平という日帰り縦走を計画したのですが、私のGWの疲れが祟り赤柴山直下でツエルトb泊となりました。この時に、現在BCガイドの資格を持つ地元のО君も一緒でした。翌日、なんとか銀山平まで歩くことができました。
 2005年、この年も雪が豊富で、毛猛山初のシロを伴った単独行でした。この年は、前年度の何処かの方が足沢山から太朗助山の木を大分除去し、条件が良くコースタイムも最短の5時間で行くことができました。実際には5時間まで掛からなかったと思います。天気も良く、素晴らしい山行きだったと記憶しています。
 2006年、この年は阿賀野市ht氏と小千谷М氏の3名で行ったのですが、やはり条件は良く、ひたすらワイワイ言いながらの楽しいと思った唯一の毛猛山でした。
 2007年、雪はさほど多くなかった年だった気がします。やはりシロとともに今度は檜岳単独を目指しますが、天気が良すぎて百次が岳から次の鞍部で撤退を決めました。
 2008年、やはりシロとともに単独で向かいましたが、雪が異常に少なくほとんど雪を拾えないという最悪のコンディションでした。毛猛山到達時間も最長でした。遠くに見える目的地はすべて藪に覆われ、そこを目指す精神力は並たいていのものではありませんでしたが、なんというかとり憑かれていたんでしょうね。
 2010年、栃尾の知り合いの方と共に3人で登りましたが、百字が岳で別れ、私だけそこから単独で檜に向かいました。やはり後半に体調不具合を生じ、相当スローペースで百字が岳までたどり着きました。そこから再び3名となり普通に下山できた気がします。
 2011年、御年72歳のお客様とともに毛猛を目指しました。ゆっくりペースでしたが、1日で往復することができました。淡々と山に対峙し、喜びを押し殺すように山頂を踏んだ冷静な方でした。
 2012年は2回とも毛猛山塊に入ったが、ともに太朗助山までとなりました。
 2013年、女性の屈強な方を案内しましたが、やはりこの日も途中で私の体調が悪くなり、中岳で撤退させていただきました。この日を境に毛猛山までの山行は日帰りでは健康上のキャパシティーが難しいと知りました。その後、太朗助山や百次が岳までは何度か行きましたが、2013以来毛猛山に到達していません。 あと何回か行きたいと思っていますが、日帰りでは厳しいかも知れませんね。

山の話④ 他

 昨日は朝から雪降りで、そのうち晴れるという予報でした。なので、一応山スキー優先を考えていたのですが、雪は9時過ぎまで降るようで8時前に行くことを断念しました。(膝の調子がいまいちという事も手伝って)
 かみさんが娘のところに行くというので運転手で行くことにし同行。途中で二分に寄り、登山者を確認するとまだまだいましたね。山スキーヤーが。
 帰りに、地元のテレ屋さんと車でスライド。やっぱりけば良かったかなーと、二週続けて思ったのでした。

 本日より、思い出の山歩きについて書いていきたいと思います。
 初めて毛猛山に登ったのは今から20年前の5月の中旬くらいだったでしょうか。毛猛山山塊には、それまで足沢山やその周辺に熊狩りで何度か行ったことがありましたが登山としてはこの頃が初めてとなります。
 当時は地元のhさんとよく山に行きました。若い頃はアルプス縦走など、本格的な山屋だったと言います。最近はシフトダウンして、越後の山に長靴専でひょいと登る屈強な方です。
 その前に、私は単独で様子見に太郎助山に行くこととしました。足沢山までのルートは、熊狩りなどで何度も歩いたことがあり周知していました。しかし、その先はどうなっているのか未知数で怖いもの見たさというか、不安に駆られながらの単独行でした。実際に歩いてみると、さほど藪は当時酷くなく、稜線も雪が豊富にあり、かなり雪を拾えた記憶があります。帰りも野鳥のさえずりを聴きながらのんびりと下った記憶があります。
 その後すぐにH氏と毛猛山に向かうわけですが、太郎助山に下見に行ったにもかかわらず、大胆にも毛猛沢から入山しました。国土地理院には古い破線があり、そこから至ろうとか色々考えたりしましたが、実際行ってみるとそのような痕跡など無く、ひたすら雪渓の沢を登って行きました。
途中で沢は急峻になって正面は険悪な様相となり、前毛猛山から毛猛山に至る稜線に取り付きました。その稜線上に1か所気持ちの悪いエッヂがありましたが、そこは少しトラバースするとさほど危険ではありませんでした。
 途中の密藪をクリアすると、毛猛山直下に出て荷物をデポ。そこからするすると山頂へアタックしました。通常のルートだと、百字ヶ岳~中岳まで行き、毛猛直下のたどり着くわけですが、そこからが意外と長いのです。しかし逆方からだと鞍部から山頂は意外に近いのです。
 山頂から降りてデポ地に行き、ふたたび藪を潜るのは面倒くさいのでまっすぐ毛猛沢に下降しようという事になり下降しました。しかしそこには雪の醜悪なブロックがあり、かなり危険なコース取りとなってしまいました。恐る恐るそのブロックを通過し、なんとか毛猛沢源頭部へ到達。ようやく一息ついての昼食タイムとなったのです。帰りの沢歩きは意外と遠く、そこそこのコースタイムだった気がします。
 最近の小雪では、こういうコース取りはまず不可能であると思われます。参考になりませんのであしからず。

山の話③ 他

 昨日は、1日中だらだら過ごしました。久々にツタヤに行ってDVDを借りてきたのですが、1枚はB級の二番煎じSFもの。2枚目はボヘミアンラプソディー。フレディー役の容姿がイマイチあれでしたが、ボーカルは本人かな?もしそうだったらすごいなと。時代の先端を行っていた曲作り。その昔のビートルズにも匹敵したのでしょうね。役者的には、フレディーの元彼女さんの人や、ゲ〇の男性の方々や、会社?の方々の役者の方の演技が素晴らしかった。内容的には、フレディーの人生というより、クイーンとしての生きざまだったような気がして、◎でした。
 と、らしからぬやわらか系の記事となりましたが、本来私はやわらか系でしたので、こういうモノも好きなのです。

 今日の山のお話ですが、行っている登山道整備について少し書きます。
 私が現在行っている作業は、山開き前(今では特に山開きというイベントは旧入広瀬地区では実施しておりませんが、おおむね6月下旬)に、守門岳大白川登山道布引登山道・浅草岳ネズモチ登山道、ムジナ沢から桜曽根経由で山頂まで、山頂から六十里登山口まで。これらのコースを実施しています。整備の内容は登山に邪魔になる支障木や倒木の処理、補助ロープのチェックと修理、道標の埋め直し、植生保護ロープの設置など、雪消えのタイミングもあり植生保護ロープは一度に張れません。さほど問題がなければおよそ3日で終わりますが、大木などがあったりしますと、5日ほどかかってしまいます。また、雪が解け、各登山口まで車が入れるようになると、各登山口にはそれぞれトイレや管理棟がありその管理も始まります。浅草岳ネズモチ登山口には大駐車場と管理棟とトイレがあり、その見回りや清掃などを定期的に行う必要があります。特にヒメサユリ鑑賞の時期にはたくさんのハイカーが訪れトイレはかなり汚れますので、清掃頻度を少し短くして対応する必要があります。
 山開きを行い、7月に入るとほぼ各所の残雪は消えます。そのタイミングを見計らい、雪で張れなかった湿原のロープを張ります。これを張ることで、一応春の整備は終了となります。
 8月ごろになると、今度は別な役所の部署から田代平の林道の除草と木の根峠から鞍掛峠までの除草委託があります。ただ、この箇所は大変単価が逆リーズナブル(笑)で、率先して行いたくない地域なのですが、ずっと私が実施しています。
 登山道整備のほか、山に関わるボランティア的な仕事をいくつか依頼されておりまして、ひとつが自然環境保護員業務というのがあります。これは新潟県全域の各地区にそれぞれ人員が配置されており、魚沼市ですと、旧守門に1名、旧入広瀬に1名、あとは旧湯の谷や旧小出に数名といった感じで配置されているようです。
 私の担当山域は浅草岳・毛猛山・田代平の3か所で、年間その地区を適度に分割してパトロールや整備を行いそれぞれ報告書を提出する義務があります。ただ、毛猛山にはなかなか行くことは至難の業ですから、現在ではあまり足を伸ばしておりません。毛猛山塊として、せいぜい足沢山界隈に足を伸ばす事ができれば精いっぱいという感じです。そういう仕事を年に10日以上実施します。もう一つの仕事は文化物としての天然記念物カモシカの調査です。これは聞きとり調査2回含め全部で8回実施が義務付けられています。カモシカのおおよそのテリトリーの調査や食害、食痕、難しいですが単体の特徴調査などを行います。これらの調査や保護の仕事もあり、なかなかフリーでの登山というのは無雪期には難しくなるのが現状です。
 9月に入り、登山道の除草作業が本格的にスタートします。私の担当は守門岳大白川登山道と布引登山道・浅草岳ネズモチ平登山道と六十里登山道です。なお、六十里登山道は、吹き峠分岐から六十里登山口までの間は電力会社の作業道と被っているため、電力会社管理となっています。その他の登山道は民宿旅館組合が作業を分担して行っていますが、いろいろあって私の担当作業区域が一番多くなってしまいました。これに、おおむね10日ほどかかります。
 山開き前の登山道整備は登山道チェックと植生保護ロープの設置がメインとなるため、さほど精神的負担はありませんが、登山道除草は精神的にも重いものがあります。ザックの中には燃料・工具・雨具・食料・救急用品など最低限の必需品は備えておかなければなりません。それを背負ったうえでの刈り払い機作業ですので、気も重くなります。しかしながら、苦行のあとの山頂到達は言葉にならない爽快感があります。山頂まで行かず、初日はおおかた途中で刈り払い機をデポすることが多いのですが、それでも作業が終わり山を後にする爽快感は言葉では言い表すことができないほどの達成感が生まれます。まさに、苦行後の喜びを得たいがためだけにこんな辛い作業をやっている気がします。
 私は色んな仕事を掛け持ちしていますので、なかなか天気が良い日だけ狙って作業ができません。時には雨の日もやらざるを得ない場合もあります。そういう時にも作業を終わらせ、帰路に着くときの解放感は良いですね。あらゆる景色が美しく、山に包まれていると感じてしまいます。
 登山道除草は工期が9月末ですから、10月からしばらくは自然環境保護員業務を行ったり、タイミングが合えばフリーでどこかの山に出かけたりします。ただ、フリーで行楽登山ができるのほぼ1日程度で、あとは家業の八十里越えツアーなどの下見やコースガイド。月末には登山道の店仕舞いが始まります。小さな道標を抜いてナイロン袋に入れ、倒して重しなどを載せておきます。植生保護ロープは鉄筋棒をロープごと抜いて倒伏。
 登山道整備と除草、その他の管理が終わると11月10日頃になります。ネズモチ平の管理棟掃除を行い、市職員から締めを行っていただき、すべて終了となります。あとは、雪が降るまで、あるいは雪が降っても行ける山域や条件などがあれば、自然環境保護業務で各所をパトロールするといった感じの1年となります。
 その後しばらく暇があるので、雪の心配がなければ里山を中心にフリー登山を楽しむというサイクルになっています。

このように、登山道整備蘊蓄を他者に語ると「大変ですね」などという事が必ず帰ってきますが、考えてみれば「好きでやっている」という事かと思います。そうですね、今度「大変ですね」と言われたら「好きでやってるんで」とかわしたいと思います(笑)。

山の話②(猟編) その他

 昨日の朝一は未明に行われる伐採現場の偵察へ。かなり骨が折れるねぇ~、と、上司と打ち合わせ。まぁ、上司は若いので、ちゃんと考えていることでしょう。その後は、あまりぱっとしない作業で、午後からは本格的にソーチェーンの目立てをしてました。作業場の2階でやってましたが、かなり暑くてカメムシがぶんぶん飛んでました。

 山の話②ですが、今日は猟の話などをしていきたいと思います。
 銃は29歳から30年所持してました。数年前に返納しています。長い期間でしたが、獲物の先細り感があり、このまま所持していても無益であろうという事で止めたのです。
 猟で行く山歩きというのは、獲物の種類によって楽であったり重労働であったります。晩秋11月15日から解禁となりますが、その時点ではまだ雪はありませんから鳥猟(カモ)となります。基本的に車で池回りやダム回りをし、居れば開始という段取りになります。主にカモ猟となるので、単純に山坂は無く平坦な場所から潜んで近づき捕獲というスタイルです。なので山というジャンルではないかもしれません。
 カモ猟を2週間くらいすると、山には雪が降り積雪が嵩んできます。ただ、1月にならないとなかなか藪が埋まらず、ウサギを発見するという事が難しいのです。
 雪山(ウサギ猟)で歩く距離はさしたるものではありませんが、私は仕事の休みの関係で単独猟が多かったのです。その場合、カンジキは一人ラッセルとなるため、長い距離を歩くのは無理です。おおむね、今まで捕れた実績のある山域を一つのコースとして決め、そこを周回するという山行でした。もちろん、ウサギの存在がなければコース取りを変えたり、立ち止まって痕跡を確認し変更という事も多々ありました。
 ウサギ猟で歩く行程は、午後3時には自宅に帰れるようにしてましたので、長くて7時間くらいでした。ザックには1食半くらいの食糧と水分500CC程度(足りなければ雪で補充)、気候の変動に伴う簡易が着替え、かわはぎナイフ(主に内臓を除去するためのもの)、双眼鏡、サングラスなど、割と軽易な服装と装備でした。これは、獲物が数頭あった場合に、背負って帰ってこなければならずその空隙を残すために軽微な装備となるためでもあります。
 例年ですと、今年のような気候はあり得ず、3月頃になるとネズモチ平まで足を伸ばすことが多かったですが、途中で天候が急変し展望台近くで視界がまったくなくなったことがありました。ネズモチ平は特徴の無いだだっ広い地形ですからわかりずらく、しばらく困惑していましたが冷静に辺りを観察すると、うっすらと白崩沢の粘土質の岸壁が確認できそこを目指して下降したという事がありました。
 初心者の頃は、やたらウサギの足跡を追い続け、気がつくととんでもない急峻な尾根筋に出てしまい下降するのに冷や汗をかいたこともありました。ある程度締った雪の上に新たに新雪が降り、クラックに腰まで入ったこともありましたが、事故もなく猟人生を送れたのは運が良かったという事でしょう。
 初猟の鴨猟で始まり、有雪期はウサギ猟、そして残雪期には熊猟という年間サイクルでした。熊猟では単独はあり得ず、すべてチームで行います。リーダー格が持ち場を決め、猟場で熊を確認し、居れば捕獲作戦が練られ敢行というスタイルでした。
 熊の冬眠場所は昔から言い伝えられていた山域にあり、その地区をまず足で散策するという手法がとられました。歩程距離としては最も登山に近いものがあり、浅草岳鬼が面山山塊では標高1200m程度まで。浅草岳の山塊では大三本沢源流を上部として、その下流の左沢源頭から木の根峠・田代山界隈のゆるやかな尾根の地区。一方では、下黒姫沢から黒姫、反対側のジャクズリガッチからサッパタ沢流域の官民界尾根。守門では大雲沢とエラオトシ沢の駒の神へ伸びる主尾根。登山道から本高地沢などの流域山塊。足沢山を主としたその流域一帯の山地。など、今の一般登山ルートから逸した山歩きが多く、木の棒での急な斜面のグリセードなど、多くの経験を積むことができました。 
 熊を見つけるまでは、登山の様相でのんびりと双眼鏡で熊を探すというスタイルですが、一旦実体を確認できるとすぐさま捕獲の体勢に入り、各所に人が配られます。当時、私はまだ若く、「お前はあっちの山まで走って待機してろ」などの場面が多く、そういう場合は心臓が飛び出すかのような激務でした。少し息を整えていると、「まだ、着かんかや」と無線が入り、ラーメンの出前のように、「もうちょっとだ」などと適当にごまかしていたものです。
 熊はさほど多く捕れるものではなく、私が落とした熊は2頭でした。猟の晩年は、仕事の関係でチーム参加が不可能であったため、後半の6年くらいは全く出猟することはありませんでした。
 猟をしなくなった私は、山に関してはとてもスリムな思考になり、銃を持って山に分け入りつつ熊の猟も兼ねるというようなことはなく、ほぼ山スキーであったり、登山というスタイルになっています。面白いのは、猟をやっているときは自然の不思議な現象とか景色のすばらしさなどは全く感慨もありませんが、ただ山のみを目指す登山は色んな発見があり、いろんな景色を見る機会が多いという事です。また晩秋や初冬に鴨猟をしているときに、ときおり見られるナメコの群落などには目もくれず、ひたすら猟という行為に没頭していました。
 熊狩りで、毛猛や黒姫という存在を知り、そこから派生して今の私の登山スタイルができたのだと思います。また、それらのさらに基礎的な部分は少年期の雪山歩きであったり、野遊びや、魚突き。そして山菜採りやキノコ。猟など。そういうものがベースになって今の私の山のスタンスがあるわけですが、決してスキル的に優れている部分はありません。特定の場面に即した山の様子がわかるといった程度のものですから、あまり応用性は無いものと思われます。

 こんな感じで、最近は饒舌にブログを日々更新しておりますが、個人的にちょっとした理由があってのことですので、鬱陶しい方は適当にスルーしていただければと思います。本題の山のことなど聞きたい方は直接メールにてご連絡いただければと思います。当宿を利用するしないというのはまた別なお話なので、そこらへんはお気を使わずにメールくださって構いません。
 山の話は今日で2回目で、山菜採りやキノコ採り、猟など、登山の域ではない部分から触れております。今後は、当サイトのアドレスをリンクし、過去の思い出深い山旅を紹介していきたいと考えています。

山のはなし①(山菜採り&キノコ採り) その他

 昨日は、勤務仕事で浅草地区の公園の雑務でした。ニシキギという鑑賞木の冬囲いを撤去したり、園内のブナの風倒枝などを処理したりと、気候も暖かくのんびり仕事ができました。破間川のダム湖ではマガモががーが―鳴いていて、そろそろ北へと移動するための会合でも開いていたのでしょうか。時勢は大変な時代になっていますが、昨日の天気はそんな不安も打ち消してくれるような暖かさでした。

 スキーの話を五十日に渡って投稿してきました。今回からは登山を含め山の話をしていきたいと思います。
 本日は第一回目として山菜採りとキノコ採りについて書いてみます。一般的にこれらの行為は、イメージとして、ユルい感じがするのではないでしょうか。どこか牧歌的で気楽なイメージがあろうかと思います。確かに場所や地域によっては、道端の野の草を摘むのも山菜採りと言えましょうし、丘の松林でアミタケのようなキノコ採りをするのもありです。
 山菜は山に行けばどこにでもにょきにょきと生えているのではなく、生息する適性な場所があるのです。特に沢筋や比較的平らな所など様々です。
 道端で採れるものとして、フキノトウ・ワラビ・ミツバアケビなどほかにもありますが、沢筋を好む山菜は大量に採れることもあります。かつて、日帰りの食事も提供していた頃、山菜そば定食などもメニューにあったので大量の山菜を保存しておく必要がありました。保存できる山菜としては、クサソテツ(コゴミ→以降コゴミと記述)・ゼンマイ・ワラビ・ウド・アザミ・ミツバアケビ・フキノトウなどがあげられ、それぞれ塩漬けや冷凍で保存できます。この中で沢筋を好む山菜はゼンマイ・ウド・アザミ・長期保存ができないオオバギボウシ(ウルイ→以降ウルイと記述)などがあります。急峻で足場の悪い場所をトラバースしたり、危険という尺度では一般的登山の比ではありません。
 悪い場所のトラバースでは、何か他の草や木につかまりながら進行するわけですが、時に何も掴まるものがなく、気が付いたらセミ状態になっていたという事もあります。これからの時期に、山菜採りで事故や遭難などの記事が相次ぐのは、道なき道を行き、滑って滑落しケガをしたり、方向を失ったりと様々な事故があるようです。さらに、高齢者が山に入る場合が多く、身体能力の低下した年代であるという事も事故の主たる原因となっているようです。 
 最近の私の山菜採りでは、まず恐怖を感じた斜面には立ち入らないという事です。ここで落ちたらケガは必至、という斜面にはいかないという事ですね。また、急な斜面であっても、安全に自分の体を確保できる木などがしっかりしているかという事を十分に確認します。灌木の中にアブラチャンというモクレン科の樹木がありますが、これは大変枯れやすい木であり、うっかり掴まると折れてしまいます。掴まる対象の木の根元がぐらついていないか、枯れ枝でないかを注視する必要があるでしょう。木であっても、生えてまだ何年もたっていない木は、うっかり掴まると根こそぎとれる場合もあるので要注意です。また、草につかまる場合も要注意です。草は脆く、掴まる対象としては不適ですが、ゼンマイの呆けたものは根元が堅固であることから利用頻度は高いです。

 キノコ採りは最近は全くと言っていいほど行っておらず、八十里越えの際に山道近くに出ているものを必要があれば採取するといったレベルになっています。 
 キノコ採りに夢中になり始めた頃はもっぱら藪の中のキノコでした。サクラシメジやムラサキシメジ、ホウキタケ・シシタケ・ヌメリササタケの類など、ナラの灌木の中にそういう種類が出ていて、藪の中を潜り込んでは楽しんでいました。一方、木に出るキノコは深山のブナの大木の立ち枯れや風倒木の五年以上経過したものなど、そういう環境を求めて歩いていました。
 このように、キノコも山菜も山に行けばどこにでも生えているというものではなく、生息環境が特定されます。何回か実際に山菜を採ったり、キノコを採ったりしているうちに、何となくキノコがありそうな森だな、とか、ウルイやコゴメがありそうな地形だなとかわかるようになってくるものです。

 今回のこのテーマは、あくまで私自らの体験ですから、読み物として捉えてください。各地区で、それぞれ山菜採りやキノコ採りが禁止されている地域が多々あります。無断に入るようなことは決して許されるものではありません。
 ということで、今回から再びシリーズものを開始いたしました。山の話という事で、一回目は山菜やキノコについてがさっと経験などを書いてみました。

スキー雑談⑩ その他

 ここのところ、バタバタとしておりました。本業も少し有ったり副業も少しづつやることが出てきたりと、1日のうちでも二足を履くことはたとえ僅少の仕事量であっても楽でないものです。
 私よりもだいぶベテランのBCスキーヤーさんが2泊され、浅草岳を目指したそうですが、数年前に怪我をされ久々の山行きだったとのことです。浅草岳スキーを計画し、SNSを辿っていたらうちちの宿にたどり着いたとのことでした。テレマーカーという事もあり、いろいろとお話しすることができ、私も楽しく夜を過ごさせていただきました。


 さて、スキーのお話も今回でいったん止めることといたします。
 アルペンスキーについては27回行い、テレマークスキーコーナーも13回行いました。今回の雑談コーナーでも10回書き、トータルすると50日書いたことになります。つまり、如何に暇だったという事ですね。

 浦佐の話に戻ります。研修生時代は殺伐としたシーズンを送ってきたわけですが、春になりスキー場が閉鎖になると、燃え尽き症候群のような精神状態になったものです。何もやる気が起きなく抜け殻のようでした。雪が解けだしても残雪を求めては雪の感触を追い続けていた年代でした。
 以前にも書かせていただきましたが、研修生の初年度に一級を取得し、次の準指導員へと目標を定めていましたので、シーズンオフもイメトレに精を出し、私の滑りはがらりと垢抜けしたのでした。それが2シーズン目ですね。2シーズン目は準指導員を受験するべく望んでいたのですが、研修生同士の中で今年は受験は回避しようという勢力があり、結局その年は消化不良でした。 
 3シーズン目は、満を持しての準指導員検定でした。その年から教程は大幅に変わり、いわゆる加圧押し出しという奇妙な指導法が発明され、プルークから片方づつ雪面を圧した結果、もう一方のスキー板のトップを上げるというものでした。スクールでもあちこちの猫の額ほどの斜面でトップ上げという奇妙な指導法が見られ異様な光景でした。当然、その年は加圧押し出しによる新しい準指導員の種目が登場し、大いに困惑しました。
 私のなかでは、加圧押し出しというのはあくまでも指導種目で緩斜面で行うもの。急斜面や実践種目では対応できない、という考えの切り替えを行う事にしました。 指導法の中に理論があり、それを学ばせるというよりも、それは一つの商品であるという考え方に徹していました。なぜなら、加圧押し出しのトップ上げをしながらコブ斜面なんて滑れませんし、あくまでもスクールの商品であるとの考えに徹していました。ただ、それを生徒さんに教えなければならず、そこが嫌な部分でしたね。教える側が納得してませんから変な時代でした。それでも、当時は新教程という事で各地から挙って生徒さんが来たものです。
 3シーズン浦佐で過ごし、新しい指導法やらいろんなものが色褪せ、私は去ることにしましたが、ここでの3年は燃え尽きたという充足感を感じた時期でした。年間100日スキーを3回過ごしたわけで、あんなにスキーをしたことはなかったですね。ただ、その割に巧くならなかった(のちの大原で実績を残せなかった)のは、自分の気の弱さだと思います。 
 すでに浦佐スキー場は廃墟となり、国道から見える山頂レストランは未だにありますが、いつかシールを着けて登ってみたい気に駆られることが最近あるのです。
 いい時代でした。生徒さんがたくさんいて、それもすべて自分よりも少し技術が劣るレベル程度で、初心者の生徒さんなどほぼ居ませんでしたし、日々生徒さんの前で下手な滑りはできないという緊張感の中でのレッスンでした。
 あの、濃密な3年が忘れることができず、まだこうして老体に鞭打ち、スキーをやっているのでしょう。

 という事で、長々とスキーの話をさせていただきました。
いつもより早い雪消えなど、これからはリアルタイムに自然関連の発信をしていきます。勿論、山スキーはまだ行くかもしれませんので、その際にはまたスキーの話など書かせていただくことがあろうかと思います。

スキー雑談⑨ その他

 昨日、午後から家業のため、あちこちと掃除をし、なんとか夕飯に間に合わせました。この時勢と少雪でいくつかキャンセルがあった中、こうしてきてくださるのは実にありがたいことです。


昨日の続きです。
 iさんの体形は重戦車のようで、繊細な緩斜面での滑りはもちろん、急斜面や悪雪での滑りも圧巻でした。一方のОさんはコブ斜面のスぺシャリストで、まるでスキーのソールに吸盤が付いているようにハイスピードで滑れる方でした。
 私たち研修生も、初心者さんなどのレッスンを行ったり、雑務をこなしたりしていましたが、夜の7時になるとスキー指導員・パトロール・従業員全員のスキー研修が約2時間毎夜行われました。そこでの講師は日毎に代わり、Оさんやiさんより古い時代の元デモの方が教えてくれることもありました。その方はsさんと言い、とにかくスパルタ式というか熱血指導をされる方でした。コブがたっぷりある山頂から下のリフトのリフト乗り場まで小回りターン(昔で言うウエーデルン)を連続7本くらい滑らされたり、コブのなかを片足で滑らされたりしました。コブの中を片足で滑るのは、大変でしたが、整地されたバーンでは浦佐時代にできるようになった気がします。
 浦佐はスクールのお客さんがメインのスキー場でしたから、コブはよくできました。圧雪車は基本的にコブは滅多に削らず、ほぼ残ったままでしたから、急斜面は常にコブ斜面でした。コブばかり滑っていると、コブにしか対応できず、たまにコブが削られるてしまうと、逆にスピードオーバーになる事がままありました。
 朝一番に指導員詰め所に行き、掃除や除雪を行い、自主練。それからコース別の担当のレッスンに就き、昼食は生徒さんと一緒に摂ることになっていました。コースは、一般的な常設クラス(「日帰りで2時間単位のもの)は、主に非常勤の指導員が担当し、我々常勤者は3日間コースが2種類、1週間コースなんて言うのもありまして、それをそれぞれ担当させられたのです。昼食の後はなかなか疲れて練習する気になりませんでしたが、なんとか頑張って数本滑って練習しました。午後も2時間レッスンしたあと、従食の時間まで自主練。さらにナイター研修2時間というスケジュールでしたから、かなり疲れました。そんな殺伐とした環境でしたが、生きているという実感がありました。
 浦佐での思い出や逸話は他にもたくさんありますが、これで止めます。このコーナーも、もう一回やって切りのいいところで終了いたします。

スキー雑談⑧ その他

 今頃になって雪がまた降っています。じっと何ヶ月もなごり雪がだらだら降っていたという感じの冬でした。
 気温が上がったかと思うと、結構寒い日があったりで、なかなか雪が少ない割に春の時期はいつも通りという事なのでしょうか。

昔の話で恐縮ですが、私ら7名ほどが浦佐のスキー教師研修生として採用されたのは、今から約40年も前の事です。それまでの浦佐はデモンストレーター養成学校のような様相で、デモの数も半端なく居ました。ですが、その後デモ認定者も少なくなり、私たちが入ったころには現役デモは2名のみでしたが、それでもすごい数だと思います。ですので、当時はどういう主旨でそういった研修生制度がはじめられたのかは解りませんが、若いものを育てようとする主旨があったのかもしれません。若しくは、プレイヤー輩出としてのスクール売名は取りやめ、単に一般的なスキー指導者を育成するだけのために我々を募集したのかはいまだ解りません。
 私たちを教えてくれる担当の先生は、元デモのОさんとiさんでした。研修生の中には、スキー初心者の者もいて、そういう人たちは違う勤労場所で働き、スキーを履くのはナイターのみという環境でした。私たちも最初、色んな部署で勤務させられましたが、正月を過ぎたあたりからアシスタントとして現場に出てました。
 まず、私たちが教わったのはスキー指導者らしい手の構えや基本姿勢でした。指導者らしい趣と言いますか、如何にも素人っぽい外見だとマズいわけです。徹底してやらされたのは、直滑降で手の構えをしっかり意識して滑るという練習がかなり多くの時間を占めた気がします。
 考えてみれば、手の構えなど、フリーで滑っていたころには全く意識していませんでしたが、浦佐に入り徹底して練習したせいか、自然とそういう構えができるようになりました。今でいう、ふところの深さという部分なのだと思います。構えを作り、上半身の懐をしっかりとることによって、下半身の動きもスムーズにできるようになるとの目的があったのだろうと今では理解しています。
 iさんの研修は割と緩斜面の低速での練習が多かったと記憶しています。止まるようなスピードでターンを開始したり、斜滑降や横滑りから次のターンに片足で入ってみたりと、低速の難しさと、操作の正確性に度肝を抜かれたのを鮮明に思い出します。まさに低速の凄さ、低速でここまで具現できる技を垣間見、やはり元デモというのはすごいなと思った次第です。

-以下続く

スキー雑談⑦ その他

 夫婦で山に行くことはあり得ないだろうなと思っていたのですが、昨年あたりから相方が率先して連れて行けなどという事が幾度かありまして、昨年あたりから数回歩いています。
 今のところ、弥彦あたりの山塊が多いのですが、本来は無雪期に守門や浅草あたりを一緒に歩き、いろいろと基本的なことを教えたいなとは思っていたのですが、まったく今までが現実化していませんでした。そこに一歩は近づいたという事で好ましいことかと思っています。

家族の中でスキーをやっていたのは私だけでなく、家内も大昔はインターハイなどに出たという話がありますし、一応一級は持っているという事です。長男も中学生まではスキー部に所属し、親の投資がもっとできていれば全国まで行けたという確信はありました。長女と次男は学校での授業でちょぼちょぼやっていたというくらいですね。
 家内は今はスキー用具もなく、まったくスキー経験はしてません。結婚前に一緒にスキーに行ったことがあったのですが、いくらスピードを出しても必ず追いついてきましたから、ふたたび鍛えて練習すれば私くらいは滑れるでしょう。
 長男もスキー部を離れる際、一級を取得し、現在は主にBC主体で有雪期は山に入り浸っているようです。あいにく山に一緒に行ったことがなく、いずれチャンスがあればとは思ってはいますが、どうなりますか。

昨今の山スキー界も、呼び名自体がBCという言い方になり、板はほぼ太板で年齢も若年化しているようです。用具もジルブレッダやディアミールと言ったどんなブーツでも履ける金具ではなく、専用靴と呼ばれる、金具とブーツがセット化されたものが主流となっているようです。テレマークでもNTNが主流となりつつありますし、これも金具とブーツがセット化されたものになっています。
 メーカーは、より良いものを作り、消費者もより良い品を求めショップに群がる。勿論、万人が同じようにいいものを買い求めることができるのであればそれがベストかと思いますが、なかなかリーズナブルとは離れすぎてしまっていて、手が出ないのが現状です。一般的に、もっと裾野を広げたアウトドアグッズの販売ができないものなのだろうか?としばしば思う事ではありますが、BCではあり得ないようですね。ただ、無雪期の登山用品などは、その代価品として量販店などで機能はやや劣るものの、充分使い出があるという雨具などは売られているようですし、私も山の整備などでは愛用しております。
 このように、ザックに板を括りつけ、スキー靴を背負って。あるいはジルブレッダ世代のような古き良き時代背景は失われてしまいましたが、BC熱は加速している気がします。それは昔のような細い板でなく、太板となり、誰もが難しい雪をそれなりに攻略できる時代になってきたという事が第一なのでしょう。 メーカーさんが可能ならば、もう少しリーズナブルな設定価格にできないだろうかと思う次第です。






スキー雑談⑥ その他

 昨日は、やはり予定通り妻とフラワートレッキングに行ってきました。朝方はスキーの準備をしつつ、悩んでましたが、山スキーは回避しました。
結果的に、ほど良い運動にはなりましたし、コース把握にもぽなりましたし、まぁ良かったのかなと。ただ、山スキー仲間の動向を後で知り、やっぱり行けばよかったかな~と思ったのでありました。
 結局、角田山に行ったのですが、予想通りすごい人人人でした。花よりも人の数が多いというか、なんというか。
 昨日のスタイルは、まったくに普段着にカジュアルな長靴と無帽、無手袋というスタイルで、山をイメージできるのはザック位なものでした。やはり弥彦山の表参道登山道の登山者に較べると皆さんビシッとされてました。弥彦表参道は、ソフトドリンク一本ぶら下げてほぼ普段着で登られる方も多く、気が楽というか、皆さん気さくなイメージですが、角田山は意外とそうでもない感じがしました。 
 帰りは、途中灯台コースとの分岐で妻と別れ、私は昔登った懐かしい灯台登山口に下山することにしました。あらためて長いコースと知りました。この灯台、昭和三十四年に建造されたものらしく、私よりもやや新しい年代でした。

スキーに一番のめり込んでいた時期は、20代前半でした。三年半勤めた会社を辞め、浦佐スクールの研修生として入り、一級を取得。その後、準指導員を受験するわけですが、その頃が一番熱かった気がします。
 シーズンが終わっても、イメトレしたり、毎日大原スキー場まで走ったり、軽い筋トレなんかもやっていた時期がありました。また、守門岳大白川登山口手前の上祝沢という沢の大滝雪渓めがけ、スキー靴とスキーを担いで沢を登り滑った記憶もよみがえってきます。また、まったく雪のない時期にも、ストックだけ持って大原スキー場のゲレンデ内を小回りターンで滑るイメージで駆け下りたりもしました。
 子供時分から運動神経は疎い方で、どちらかというと絵を描いたり文章を書いたりする文科系の方が得意だったので、スキーに関しても子供時代は下手糞な部類でした。ですから、人並の資格を取得するためには人並み以上の努力が必要でした。つまり、資格取得やイントラとしての勤めなどから、スキーなど心底楽しめるジャンルではなかったのですが、まぁ、上手になりたいというその過程が楽しみでもあったのでしょうか。 
 スキーが楽しい、と思い始めたのは、山スキーをやるようになってからです。これは山に登るというプチ旅とともに、旅の帰路を誰の手でもなく自分の足で滑り切りパフォーマンスできるという、ひと粒で二度おいしい味を楽しめるという事でしょう。ただし、そこにいたるまでの資格取得の時代や、低速でチマチマと基礎反復を繰り返してきた地道なモノの集大成でもあるような気も致します。そういう感じで、やっと楽しめる時期に差し掛かったころ、さらにテレマークと出会い、ますます山スキーというジャンルに入り込んできたのです。と同時に、皮肉にも加齢という天敵がやってくるといった感じでしょうか。
 ガタピシと体が軋む中、昨日のようなイイ天気に山スキーを回避し、里山巡りをするのもまたいいものです。そして、帰ってきては、思うのです。やっぱり、山スキーに行けばよかったな……
と。

スキー雑談⑤

 昨日は、終日家に居てごろごろしてました。今日は幾分体も軽く、一昨日の職場のコンクリートでの転倒の影響も少ないようです。
 昨晩、М氏から彼の山友とともに浅草岳をスキー山行するので、私も一緒に行かないか?という電話をいただいたが、取りあえずお断りさせていただきました。何しろ屈強の集団ですし、取りあえずパスという事にしています。ただ、天気は悪くないんですよね。困ったなぁ~と。
 おそらく、この間と昨日の若干の雪で多少パウダーっぽい体験ができるかもしれませんが、後半の腐れ納豆粘り雪だと、私のセンター幅70mmではかなり厳しいかな~とか考え中です。あるいは、かみさんとユキワリソウでも角田か弥彦あたりにでも?などと迷走中です。


スキーの形状についてですが、まったくこれまでは意識もすることなく、どちらかというと無頓着でしたから気にも留めませんでした。 
今年の1月後半、須原スキー学校のお手伝いで、八海山スキー場でレッスンした時の事です。この頃は須原も雪が無く、クローズ状態でしたので、止む無く他所でもレッスンとなったのです。多少滑れる子供たちでしたので、3日目にはテレマークスキーを持参してレッスンしてました。その際、須原のスタッフの一人がBCツアー主宰者で、かなり多くのBCツアーを催行されている方です。その方が私のテレ板を見て、「あれっ、細板なんだね」と言ったのでした。私はその時、「いやいやいやいや」といった気持でしたが、言葉には出さず、適当に答えていた気がします。
 つまり、私は太板は邪道である、という、まったく古い認識があったのです。私の長男も数年前からBCに行ってます(一緒に行ったことはありません)が、彼もセンターは100mmは優に超えた板を常用しているようです。 
 基礎の世界では、まだまだセンターは70mm強といったところですし、競技用では以下という事もあるようです。つまり、パックされたバーンでは、その方が食い付きも良く、滑走しやすいのだと思いますね。
 今、自分が履いている板はベクターグライド、オムニーという機種で、センターは70mm、トップで110mm、Rは17くらいでしたでしょうか。これは、2017年初冬に某ショップから入手しました。一応太板とかNTNなんかは当然勧められましたが、ゲレンデで基礎テレをメインに考え、BCにも対応という事でこの機種にした次第です。当時私は、テレマークのレベル3を受かり、年明けてテレ指導員受験を考えてましたので、細かい技術が可能な板をと考えていたのでした。つまり、私の買った板はたぶん売れる可能性のない板だったにもかかわらず、私が使ったことによって倉庫入りにならずに済んだのでしょう。
 考えてみれば、私はギアに拘らない人種でしたね。Uスクール時代も、あてがわれたカザマエアフロコンプという、ぺっらぺらの板とは真逆のフォルクルの超糞硬い205cmという私用の板と併用してました。片方はクルクル回るし、片方は木刀板ですから、勝手が違うのですが、ちょっと滑るとすぐ慣れてしまうという特技がありました。板だけでなく、ラングのブーツからいきなりコフラックのリアエントリーという転換にもすぐ対応できましたし、無茶苦茶でしたね。結局、何にも拘りがなく、ただに安物買いに過ぎなかったわけですが。ただ、自慢というかなんというか、このフォルクル205とコフラックリアエントリーでクラウンを取得したのでした。勿論、あの時代のクラですから、いまの時代とは全く違う滑りでしたし、今ではもうそういった資格など無縁ですが、一級くらいは何とか受かるレベルでしょうけれども。しかし、それもそこそこ今の時代の滑りを習わないといけないでしょうね。 
 気が付けば、いつのにか主流から取り残されていた。というか、すでに某ショップで買った時点で大幅に退行していたと言わざるを得ません。ただ、資格取得に際しては結果的にこういう板の方が良かったのかなと思います。

とりとめもなく、どこまで書いても終わりがないネバーエンディングストーリーっぽくなっちゃいますので、ここらへんで止めます。
それにしても、今日の予定がまだ決まりません。

スキー雑談④ その他

 昨日は早めにブナの間伐材の玉切り作業が終了し、残った時間をチェーンソー整備に充てました。チェンソー2台を持って、足場の悪い階段から下るときに、最後の2段を踏み外し、落下。膝下を思いのほかコンクリートに打ちつけてしまいました。強烈な痛みで、骨が如何かなったのか?と心配しましたが、歩けるので問題なしと決め帰宅。最近の重労働と今回の打撲で、あちこちが軋んでいます。今後3日連休ですし、ケアに充てられればと思いますが、明日は幾分持ちなおしそうなんですよねぇ~、天気。

山スキー山行では、雪質の当たりはずれが結構あって、自分的には登り主体よりも滑走主義の人ですので、やはりイイ雪じゃないと達成感は半減します。なので、今まではどちらかというと春雪が締まってから出かけることが多かったのです。ところが、今年に至っては雪が異常に少なく、とても残雪をあてにした山スキーは無理です。
 2017年、この年は雪は特別多いわけではありませんでしたが、目的のピステにはたっぷりの雪がありました。
 田代林道から延々3時間歩き、さらに1192(丸倉山)までも2時間弱。その東大斜面を滑走し、1時間の登り返し。
 山スキー好きな知り合いのお客さんに、良い斜面がありますよ!と、話すと、一度は食い付きを見せるのですが、長い田代林道の往復はテレマーカー以外はきついはずで、即行難色を示していただきました( ´艸`)。そういう、いきさつの斜面ですから、行くのは私たち(小千谷М氏)だけでした。
 ここで、画質は最悪ですが、滑りの動画を何点か撮っています。
画質は普通のデジカメ撮影なので、最悪ですが、深山の隠れ斜面という事でいい味が出ているかと思います。

 

スキー雑談③ 他

 昨日は先週伐木したブナの玉切り作業でした。チェーンソー仕事は好きなのですが、玉切り作業は地味ですし、直径も細物が多く、ひたすら忍耐の作業でした。体もあちこち痛み、機敏には動けません。晴れてはいましたが、風もあり、気持ちの良い一人作業とは言えませんでしたね。
                             
                            ※

スキーについて、技術的なことなど先月から書き綴ってきました。アルペン編、テレマーク編とトータル40回に渡り掲載を続けてきており、すべて書き尽くしてきたわけではありませんが、主に初級・中級レベルを主体とした内容を書き綴ってまいりました。細かい点や、実際の滑りについてはなかなか文章であらわすことはできませんが、今までの中で質問や、言っている意味が解らないとなど、不都合な部分などがありましたら、お気軽にメールやコメント欄にお書きいただければ返信いたします。
 ここ数日前から、堅苦しい話を終え、スキー雑談としていろいろと私の過去の山行や、お気に入りの動画などをここで公開していきたいと思っています。
本日は、上記の記録を載せました。2007年正月からテレマークスキーをはじめ、このスキー山行は数回目だったと記憶しております。相棒のシロともに、黒姫を目指したものです。
 雪はしっかりと締った雪で、滑走性も良く楽しめた日でした。ただ、アルペンスキーの癖が残っていて、思わずアルペンターンから入ってしまい、滑走中に「あれっ?どっちの足が前に出るんだっけ(-_-;)」といった具合で、ターンしながら首をかしげていた記憶があります。しかし、途中でリズムに乗り、嬌声を発しながら滑走した記憶があります。
 やはりスキーでの山旅は、登ってよし、滑って良しが満たされないと完結しませんね。

スキー雑談②

 昨日は新雪が約10cm以上降り、雪を除けながらの作業でした。
 15日の早坂滑走で、吹き越しの凸凹が良く見えず滑走し、腰に衝撃があり少し痛みます。若い頃は、腰が痛むことなど皆無でしたので、その分酷使し過ぎたんでしょうか。

 この年も雪はたっぷり残っていましたが、袴腰~烏帽子山鞍部に板をデポし、スキーブーツでの藪漕ぎで烏帽子山を踏みました。この鞍部から烏帽子山にかけての稜線は、多雪年度でも雪が着き難いところでした。
 この日の烏帽子山は幾日か前のスキーのトレースが見られ、おそらく破間川源頭を詰めて烏帽子直下までスキーシールで登行したのでしょうか。そういった記憶もよみがえってきました、そう言えば。
 この山行では、烏帽子山に到達することがメインテーマでしたので、スキーはあくまでも手段として用いた唯一の日でした。これにより、駒の神付近から袴腰→烏帽子間の鞍部までを大幅に時間短縮できた気がします。

その他&テレマークスキー⑰ 新シリーズ「スキー雑談①」

 昨日は勤務仕事で、この間伐採したブナ木の玉切り作業でしたが、雪が猛烈に降ってきたので途中で撤退。他の雑務をし、AMで帰宅しました。
午後がちょっとグダグダし、カモシカ調査報告書のまとめ作業を午後8時過ぎまで実施し、ようやく終了。先ほど、大きなポストが近くに無いので旧入広瀬まで行って投函してきました。

さて、テレマークスキー⑰と銘打ってタイトリングしましたが、アルペンスキーと被る部分が多々あるので、ネタはもうないです。個人的に試してみたい、あるいは練習してみたい部分は多々ありますが、ギアの適性もありますので、難しいところです。

ネタ切れにつき、今日から新シリーズとして、スキー雑談①、から新たにスキーの話を開始していきたいと思います。まぁ、年は食ってますので、いろいろなスキー経験をしてますし、ネタはそそこございます。

本日よりしばらく懐かしの 山行きを掻い摘んで表示してみたいと思います。これは2000年4月ですからもう20年前の記録ですね。山スキーを持っていなく、普通のスキー板を持って小出のマルセスポーツ持って行ったら、面白い金具をつけてくれたのです。社長さんが、こんなのがあるからつけてやるというのでつけてもらった金具です。普通のディアミールのようにパコっと踵が上がるわけではなく、10cmくらいしか上がらない奇妙な金具でした。最初のシール登行がそれでしたね。あれはいったい何だったんだろう?と思います。そんな不便な道具にも関わらず、まだ40代前半だった私の体力は今よりあったので、そこそこのコースタイムで登れていたのですね。

テレマークスキー⑯(3/15浅草岳早坂尾根滑走)

 昨日は、ホテル跡から林道を桜曽根まで行き、状況が良ければそのまま浅草岳へ向かう予定でした。しかし、エコミュージアム入り口付近先の県道終点から眺める桜曽根はあまりに遠く見え、急遽早坂尾根へと向かってみることにしました。なお、 細かい内容はサイトにありますので画像と共にご覧ください。

本日のテレマークスキー考⑯は、昨日の滑走について書いてみます。
山頂から大三本沢源頭近くまでは、凍ったアイスバーンでした。こういうところの滑走はとにかくコントロールを重視する必要があり、ターン始動期には前足の迎え角を十分にとり、少し極端なくらい外向を意識します。無意識にターンしてしまうと腰が回りやすいアイスバーンですから、適切に雪を押しずらす必要があるので外向過多なくらい上半身をセットします。
 アイスバーンが徐々になくなると、今度はスカブラ状になった締った雪がクラストを形成していました。ただ、この程度なら板はかき分けてくれますが、ターン始動期には前足で探りを入れるように始動していきます。
 大三本沢の源頭を過ぎると大変滑りやすい、プチパウダーで滑走性も良く楽しく滑りました。雪が少ないので灌木が多く、あまり滑走ラインは自由にとれませんが、それでも楽しめました。 
 技術的に注意したことは、切り替え時に中間ポジションで腰の下に板が来るようにし、ターンはすべて脚の伸展によるものとしました。これを意識すると、幾分脚の疲労が軽減できる気がします。
 早坂尾根での楽しめる滑走は此処までという山スキーヤーが多いですが、この長い平地もまた楽しいものです。平地が終わると下の清水沢への下降となりますが、これはそこそこ変化があり、急な斜面もあります。ここでは、しっかりスキーを振り、ターン後半のマキシマムをしっかり意識してその反動で次のターンへと入るように心がけました。ところどころの灌木がなければもっと痛快に滑走できるのにと、少し残念な気もなりましたが、でもまぁ結構楽しませていただきました。
 下清水沢が開いているので、その隣のピークから程よいランが可能な所を探して滑走を試みますが、朝の厚いクラストが半解けでしかも中のザラメはグダグダ。なおかつ表面はストップスノー気味で、まるで蟻地獄のように板を取られます。
 私の板はカービングで曲がりやすい特性はありますが、センターが80mm以下なので、とにかく埋まります。条件がさほど悪くない上部では問題ありませんが、気温が高い下の方は不利だと思い知りました。来年はセンター100mm程度にしないとですね。

雑感&テレマークスキー⑮

 昨日は、所用を足しに妻と出かけてきました。所用と言っても私の用事に付き合わせたという感じでしょうか。
 小出で数時間の長い用事を足し、久々に17号で長岡方面へ。一週前にシールに張替えをPさんにお願いしておいたのですが、3年ほど前のコールテックスの機種はもう期限切れらしく、S氏がわざわざ洗っておいてくれておりまして、代金代わりに長年使いこんだニット帽の代わりを買ってきました。来年は、いよいよ立場上NTNセットを揃えないといけないかなと思っています。 
 帰りは栃尾を通ってきましたが、ヒメオドリコソウも見られ、チョウジザクラも開花していました。また、ウコギの新緑もところどころ見られ、春の到来を感じました。


昨日からテレマークスキーの不整地という事でお話を進めさせていただいております。 
 今回は、テレマークコブの基本的な滑り方をについて書かせていただきます。
 昨今は、ほぼラインコブが多くなってきており、おのずと小回りターンで滑走せざるを得ない状態です。ですが、現実的に存在するコブラインはほとんどがアルペンスタイルのスキーヤーが主ですから、レベルが高くなればなるほどピッチが細かくなるパターンが往々にして見られます。周知のとおり、テレマークスキーは切り替えの時、前後のスキーの入れ替えを行う必要があり、エッヂ切り替えに時間がかかります。ですから、あまり小さすぎるピッチはテレモーグルなどをやられている方クラスでないと無理だと思います。よって、なるべくピッチの広いラインコブか、天然コブラインのある斜面があれば一番いいです。
 アルペンスキーのコーナーでも書かせていただきましたが、テレマークスキーでも動きは同じで、膝を抱え込みながらストックを突き、コブの腹でスキー板を溝に向かって伸ばしていくというスタイルです。腹で如何に板をずらしてスピードを殺すことができるかですね。そこでしっかりとスピードを制御できれば、次のターンも余裕をもった中で入れるかと思います。 
 コブを滑るときの抱え込み切り替えは、いろんな斜面での応用も可能で、マスターして損はないと思います。

テレマークスキー⑭  その他

 ブナ林間伐のイベントがトータル3日間行われ、伐採やその他の準備で結構疲労困憊し、昨日は割とよく寝ました。途中、GACKTの歌の時になぜか覚醒し、その歌の後は再び眠りに落ちました。

 カモシカ調査も大分期限が押し詰まってきまして、そろそろカモシカ山行の締めを行わないといけないという危機感を募らせていますが、明日が最終調査日かなと思っています。
 明日は、一応、カモシカ調査王道の白崩沢右岸をめぐり、桜曽根まで林道を歩き、そこから夏道の桜曽根コースを登って浅草へと考えています。帰りは滑って通常の白崩沢有雪期ルートを滑走予定です。ただ、杉の植林地内の雪がどの程度かと。あんまり柴が多いようだと、ずーと林道歩きになるかもしれませんね。




⑭から、テレマークスキー不整地滑走についてのお話をさせていただきたいと思います。
 整地されたスキー場などでテレマークスキーあるいはなんちゃってテレをやっても、さほど破錠なく滑れます。ですが、荒れたり、起伏があったりする場合は、今まで説明してきたようにしっかりとした後ろ足荷重が求められます。そして、ある程度伸展筋による脚の伸ばしによってターンを構成してくのが良いと私は思います。すなわち、テレマーク初級レベルで練習してきた動きとほぼ逆のリズムですね。
 初級や初歩レベルでは、プルークボーゲンでも説明したようにターン前半を伸ばしによって始動し、曲げで終わるというものです。中級レベルになってくると、より難しい場面に入っていくわけですが、ターン初期を伸ばしによって抜重的な動きになってしまうと、不安定になりスキーの抑えが利きにくくなります。加えて、テレマークターンのエッヂの切り替えは前後のスキーを入れ替える作業があり、アルペンターンよりも不安定な局面となります。よって、不整地や荒れた斜面を滑走する際には、切り替えを曲げながら行う意識が必要になります。いわゆるベンディングですね。そして切り替え後、脚の伸ばしによって側圧を捉えていくという動きになります。ただ、これは極端に言い表したものであり、実際には上下動をやや抑えた中間姿勢からの脚の動きという事になろうかと思います。
 たとえば、某山岳では山スキーヤーがごった返し、数々のシュプールが入り乱れ、大変滑走し難い状況だとか。
 スキー場の圧雪車のミルの跡が付いたような整地斜面で、ターン前半力を抜いて気持ちよく滑れたりしますが、前者のような状況でこのような滑りをするとまず倒されてしまうと思います。そういう場合は、ワンターンを始動期から切り替え迄のスパンで考えるのではなく、フォールラインからフォールラインまでをワンターンとして考えるのが良いでしょう。特にバランスを崩しやすい、切り替え時期を慎重に行い、脚の伸展時期をリラックスして雪面を押していくというイメージです。


次回も不整地コーナーを続けます。

雑感&テレマークスキー⑬

 昨日は勤務仕事で終日チェーンソーを使ってまして、かなり疲れました。また、同僚の掛かり木を処理したりと、何かとバタバタした1日で腹の減り具合もマックスでした。また、足場の悪い中での伐木で、腰が痛くなっています。しかし、怪我もなく終わり、今日は2日目ですがトラブル無きよう全うできればと思っています。

昨日のテレマークスキー⑫で、小回りの話を始めたのですが、ほぼ体験談に終わってしまいましたので今日はしっかりと書いていきたいと思います。
 ⑫では、ターンマキシマムを内足(後ろ足)でしっかり足場を作り、その足でそのまま次のターンに入っていく、といったことを話しました。ただ、ターン後半に、完全に、あるいはかなりの確率で後ろ足を踏んでしまうと、なかなか後ろ足を機敏に次のターンへ返すことが難しくなります。
よって、ターン後半に後ろ足荷重を強めつつ、前足で足場を作りながら切り替えをしていくという事になろうかと思います。つまり、ターン後半の後ろ足荷重は→そのまま後ろ足を踏みつけつつ前足で足場も作る→両スキーがフラット(切り替えとクロスオーバーの局面)→最初の後ろ足が次のターンの前足となる→スキーの理想軌跡に対し前足のトップで迎え角を作る、といった繰り返しになろうかと思います。以上がターンにおける過重の一般論となります。もちろん、状況に応じ、ターン後半に両足過重になる場合もあれば、前足だけになる場合もあります。
 次に小回りターンの練習方法をいくつか紹介します。
 いわゆる、開いて閉じる・開いて閉じる、といったシュテムを用いた小回りをやってみます。この場合、脚の伸縮を用いて行うとよいかと思います。開きながら脚を伸ばし、引き寄せながら曲げる。この曲げの動作の時にテレマークポジションを取ります。ターンマキシマムから前足で足場を作り、次のターンのシュテム動作を作り出していきます。このシュテムから、徐々に次の前足への乗り移りを積極的に行う事で、スムーズな回しこみのある丸い弧の小回りターンの良い練習となるでしょう。
 アルペンターンで小回りに近い動きができる方であれば、整地された安全な斜面を利用し、アルペンターンでの小回りをまずやってみることでより感覚が掴みやすいと思います。アルペンターンに限らず、小回りの基礎的な動きは、両スキーでターン内側に迎え角を作り、スキーをある程度振る→振ったスキーに圧力を加え、ターンを終わらせる→両スキーの角付けが外され切り替えの局面を迎える。といったシンプルな流れで成り立っています。これをさらにスキーの向きで言い換えると、斜面に対して横向き→斜面に向かって真っすぐ→逆方向に向かってスキーを横向き。横→縦→横(逆方向)、といったイメージに置き換えることもできるかと思います。
 アルペンターンの小回りでリズムを掴み、フォールラインからターンマキシマムまでをテレマークポジションで行ってみる。など、基本的な小回りターンの練習になるのではないでしょうか。
 アルペンスキーのコーナーでも書いたと思いますが、あとはやはり上体の外向ですね。特に、上体と下肢の逆ひねりと捻り戻しによる切り替えができないと次のターンに入りにくくなってしまいます。この練習方法として一般的なものを紹介しておきます。ストックを2本両手に持って前に出し、なるべくストックが左右にぶれないよう小回りを行います。ここでどんなことを意識するかというと、どういう風に体をひねればスキーがすんなり回ってくれるか?という自分の体に問いかけを行うことが大切かと思います。つまりここで難しいのは、ターンしました→次のターンにすぐ入らないといけません→どうやったら次のスキーを早く振ることができるのか?という事です。スキーは振ってしまえば、あとは荷重するだけですからさほど難しいものではありません。
 今のこの捻り戻しにはもう一つコツがあります。それは、スキーの落下ですね。スキーは斜面の下に向かい、引力によって落下していきますから、当然体もそれについていかないといけません。つまり、ターンマキシマムで捻られた下肢を次のターンへ戻しに行く際、腰がそのままの位置ではなく前方へと移動しないと戻しの効果が半減します。スキーは動くけれども、体がついていかないとスキーは操作の範疇から外れてしまいます。
 ただしかし、最初はそこまで求める必要はなく、2本のスキーを同時に左右に振る。滑走者が時計の6時の位置にいるとすれば、右ターンは8時、左ターンは4時くらいを目標にスキーを振ることを意識すればよいと思います。最初は緩い斜面からの5時、7時くらいを目標に、アイスバーンや30度以上の斜面では3時9時とか(ちょっと極端ですが、実際のBCではよくあることです)。
 などなど、適当に説明してみました。なにかあればコメントいただればと思います。

もっとラフな書き込みをする予定でしたが、つらつらと持論を展開してしまいました。次回からはテレマークよもやま話的な感じで進めていきたいと思います。

雑感&テレマークスキー⑫

 夜、うっすらと雪が降ったようで、軽く雪化粧をした朝を迎えています。
 もう一個のSNSにも書きましたが、一昨日の夜、幻聴だったのか?と疑うカエルの声を聴きました。南魚沼市の方がやはりカエルの声を聴いたとの記録があり、幻聴ではなかったのだと改めて思いました。 
 数日前の山林整備事業の下見で雪原を歩いていた時もイノシシの足跡がありましたし、いろんな部分での変化を認めざるを得ないようです。
 しかし、按ずるまでもなく、あらゆる現象は収束に向かい、色んな意味で好転するのではないだろうか?と期待するしかないと思っています。


今日のテレマークスキー考は小回りについて少し書いていきたいと思います。
 私とテレ小回りの出会いは厳しい出会いでした。まず、どうやって小さく曲がればよいのかわからないという、極シンプルなものでした。なので、現実的には、この小回りの仕方が解らず、ずっと数年間BCにも出ることもなく、テレマークスキーを始めていながらアルペンスキーを主流にしてきた時期がありました。もちろんまるでできなかったわけではなく、テレマークスキー初年度の春、いきなりМ氏から越駒に連れて行ってもらい、滑走の後半に悪雪のツリーランをするところがあったのですが、そこは何とかジャンピングテレで細かく回ったのを記憶しております。ただ、一般的なスムーズな小回りの仕方が解らず、ずっと悩む時期が続きました。
 いわゆる、噛み合えば問題なく小回りができるレベルだったのですが、2010のテレマークスキー指導員検定1回目受検での小回りはかなり硬いバーン設定でした。最初の何ターンかはテレマークターンでこなしたのですが、次の小さな起伏でリズムが乱れ、何ターンか連続でアルペンターンで対処。その後は何とか戻してテレマークターンで滑走したのですが、割とスピードオーバーになってゴール。合格点は出なかっただろうな、という自覚もあったのですが、やはり✖となってしまいました。 
 次年度受験も、その会場で試験が行われ、その事前講習会でもなかなか小回りのタイミングをつかめずにいました。ここでの講師のアドバイスは、ターンマキシマムで大回りのように後ろ足を踏みつけながら次のターンに入るというものでした。今までの私のテレマークターン小回りはアルペンスキーのように外スキー荷重を強めてから次のターンに入っていた傾向にあり、テレマーク姿勢というものがバランスよくとれていなく、その結果、前後の開きだけに意識がいき過ぎ、ホールドが甘くなっていたのでしょう。
 以降、その意識で滑走すると破城がなくターンできたと記憶しております。
 2011の震災でテレマーク指導員検定は中止となり、その後私のテレマークスキーへのモチベーションは下がっていたのですが、コブ斜面練習や、BC浅草岳ツアーでの滑走などで再びテレマーク熱が高まったのでした。小回りターンもあまり納得はしてませんでしたが、なんとか普通にこなせるレベルになりました。
 最終的に、これが小回りのコツだろう、と自身の中で決定づけられたのは、2017のテレマークスキー指導員検定の数日前、大原スキー場の営業時間が終わってからの練習でした。何本も登り返しながら、ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながらの練習でした。あいかわらず、決定的なコントトロール性のある小回りがつかめず、試行錯誤の連続でした。
 ふと、何かの拍子に後ろ足の踏み付けを極端に強めた瞬間、極めてスムーズに次のターンに入ることができ、捻り戻しのタイミングが造作もなく出来たことがありました。以降、小回りターンの急斜面や固い斜面でもコントールしたターンが可能になってきたという経緯がありました。
 という事で、今日は自分の話に終始してしまいました。

テレマークスキー⑪

 今日のテーマは、テレマークスキーの外向外傾について書いていきます。
 昨今、板幅がワイドな傾向になってきていたり、幾分ロッカー形状になっていたりと、新雪や、湿雪にも対応できる板が主流となってきているようです。板幅が広くなることによるメリットは、両膝が離れているので、細かい動きやスキーターンに入る迎え角が作り易かったりと、利点は大いにあろうかと思います。BCでは、クライミングスキンで登行する場合も軽い雪では板の沈みを防ぎ、滑走の際も浮力もあり、バンクを得やすくターンし易いなどの利点があろうかと思います。こういう状況の中で外向外傾は特に意識しなくてもスキーはターンしてくれますし、むしろ外向外傾は無用の長物になるかもしれません。しかし、一般ゲレンデや、BCでの固い雪など、スピードコントロールが必要になった場合は、やはり外向外傾は必要だと私は思います。
 テレマークターンの初歩過程では、体ごと回ってもさほど問題ではないのですが、条件が難しくなればなるほど外向外傾の体の逆ひねりは大切になってきます。特に、テレマークスキーは踵がフリーになっているため、小指球側でエッヂを捉える必要があるため、アルペンスキーに較べるとエッヂングがどうしても弱めになってしまいます。よって、コントロール(制御)するような状況では、より外向外傾を意識することが求められます。 
 私事で恐縮ですが、2010年度指導員受験に際し、須原でトレーニングをしていたころがありました。その日は曇り空の気温が下がったままのほぼアイスバーン状態でした。外向外傾ができにくい苦手な左ターンで、ズルっとターンがずれて腰が回ってしまっていました。外向外傾はそこそこ意識しているのですが、やはり腰が回ってしまうのです。いろいろ試行錯誤して解ったのは、左ターンの際に内足と外足の前後差が一方のターンより小さめだったのです。これにより、外向外傾が甘くなってしまい腰が回ってしまっていたのです。このように、硬いバーンや難斜面では、前後スタンスをいつも以上に少し広めにとってやることで、適切な外向外傾姿勢が維持されることがあります。もちろん、ほんのわずかですが、苦手なターンの際には、見た目にはわからないほどの、極僅かな外側への外向を意識する必要があろうかと思います。 
 これらの外向外傾のイメージは、以前触れましたプルークボーゲンの体の使い方を意識することが大切です。

アルペン板でもテレマーク板でも用具は進化しています。よって技術も変わってきました。ですから外向外傾も昔に較べるとオーバーではなくなっていますが、スキー人口の減少の影響で空いたゲレンデや性能の良くなったピステンなど、という事もあり、ターンの高速化現象に拍車がかかっています。これはゲレンデに限らず、BCでもより高速で滑走したり、より急斜面に挑んだりする傾向にあるようです。そういう懸念から、SAJの指導員研修会では横滑り系からパラレルターンへの発展カリキュラムを取り入れたりしているようです。
 TAJではどうか?という事ですが、私が受験合格した年度は2年前ですが、当時も基本的な外向外傾というのは必須でしたから、今でもそういった芯は変わりがないと思っています。
 そういう流れとは別に、個々がどこまで正対でどこまで内傾するか?というテーマは持ち続ける必要があり、それぞれが引き出しを多く持つことで自己流を含めた実践技術が組み立てられ、それぞれの斜面を攻略することができるようになるのでしょう。ただし、あくまでも普遍的なものはいつの時代でも変わらないという事になろうかと私は思っています。
 以上、何かあればコメントいただければと思います。

テレマークスキー⑩

昨日は、カモシカ調査ではなく、勤務仕事の関係で半日強山歩きをしてきました。良い天気で、かなり汗をかきました。
 雪は腐り、こんな雪質の時は太い板が良いんでしょうね。理想であれば、その場その場に応じ、適正なギアを調達し使いこなすことができればいいのですが、すべて上から下まで同一の条件ではありませんから、難しいですね。
 自分は、テレマーク板は2本ありますが、ほぼ同じ太さです。よって、有るものを使って、技術の引き出しを広げていくしかないかなと思っています。

平地では、ムクドリもやってきていました。
破間川ダムの湖面には、オシドリの群れと、キンクロハジロが居ました。長閑な昼下がりで、早めの移動でも考えているのでしょうか。



前回はテレマークターンの初歩的なものからテレマークターン基本形の話をさせていただきました。
 今日は、テレマークターンを解体し、それぞれの外足、内足の使い方などを書いていきたいと思います。
 テレマークターンの基本形で、ターン後半内スキーの踏み付けを強め、ストックを突き、そのまま内スキーを踏みつけながら次のターンへと入っていきます。結果的にそこで外スキーと内スキーの入れ替えが行われますが、あまり次の内スキーの圧を早く使うのではなく、ニュートラルなポジションの時間をたっぷりとり、フォールライン手前あたりから内スキー荷重を強めていきます。ですから、ターン開始は外スキーで入り、徐々に内スキー荷重を強めていきます。
 荒れた斜面や、少し起伏のある斜面などでは外スキーで探りを入れ、なるべく早く内スキーに荷重を加えるとよいでしょう。

次回は、外向外傾姿勢の必要性と必要でない場合などについて書いていきたいと思います。

カモシカ調査 他&テレマークスキー⑨

 朝、お客様の朝食準備を済ませ、天気も曇り気味でしたがカモシカ調査へと向かいました。
 場所は大原スキー場跡左側方面で、プチテレツアーでよく行くところの途中まで。相変わらず雪は少ないですが、それでも多いところはそこそこあります。
 カモシカの足跡を発見し、沢筋をうろうろした痕があったので何を食べているのか観察しに行ってみました。一か所目はチシマザサの葉でした。
普通、今の時期には食べることができませんが、この小雪で食べることができているようです。次の痕跡は、樹木のミズキの小枝部分含めた冬芽を食べた痕跡がありました。ミズキの木は柔らかいので食べやすいのでしょうか?ただ、この木はイマイチ私は匂いがきついので好きではありませんが。
 どうせカモシカは見ることができないし、ちょっと一息入れようと足を止めると、大雲沢から穴沢地区に向かう農業用水路トンネルの平地畑ピークにカモシカが立っていました。
 そこで軽く食事を摂りつつ、眺めながら観察し、形状やツノの状態、色などをメモしました。専門的な望遠鏡などを所持している方々は、もっと詳しく観察できるのですが、私の手持ちの10倍双眼鏡では無理です。
 観察中に、杉の花芽を食べにシジュカラ、エナガ、カワラヒワなどの群れもたくさんいて、とても賑やかでした。


テレマークスキーに限らず、アルペンターンでもプルークボーゲンの練習はとても良い練習方法の一つです。しかし、私本人もそうなのですが、あまりやりません。本来であれば、まず一本、途中で止まり止まりしながら基本練習を行い、実践的な練習に入るのが良いのでしょう。
 今回、テレマークスキー上達に関わるプルークボーゲンは、適度な外向傾姿勢と、脚の曲げ伸ばし、外スキーへの初歩的なずらしによる荷重移動。このようなことがメイン練習となります。あまり、弧を描くことを意識せず、斜め横に向かって体ごとズレ落ちていく感覚を身に着けることにより、オーソドックスな荷重移動のタイミングと上半身と下半身の逆ひねりを学ぶことができます。この初歩的なプルークボーゲンを基礎とすることにより、ターンのメカニズムを知ることができます。ただ、プルークボーゲンとテレマークターンは別なものであり、プルークスタンスからテレマークスタンスへの移行という部分では無理があります。ですから、テレマークターンにおいてのプルークボーゲンの立ち位置は、あくまでも外スキー荷重のタイミング・外向外傾など、体の使い方のチェックになろうかと思っています。
 とかく、一般的なイメージはアルペンスキーとテレマークスキーは相反するものというイメージがありますが、その根底には元は皆プループスタンスから始まったと言われています。極端に言うと、正しいプルークボーゲンをマスターすれば、よいテレマークターン、あるいはよいアルペンターンが可能だという事です。 次回は、「テレマークターンの解体」について書いてみたいと思います。

なにかありましたら、またコメントいただければと思います。

テレマークスキー⑧

 昨日は緩い斜面で初歩的なテレマークターンの練習をイメージし、書いてみました。今日は、そこから少し発展させた、テレマークターンの基本形という段階までやっていきます。
 一つ目にイメージすることは、ターンを行いながら荷重を加えるという事、つまり脚の曲げ動作の動きです。そこから今度は次のターンに行くわけですが、その時は脚を伸ばしながら入っていくというイメージとなります。曲げと伸ばしの時間的なイメージは、曲げ時間を長く取れば、大きめのターンになります。
 二つ目のイメージは、ストックワークの連動です。曲げながらターンを行う際に、ストックを構えながら行いましょう。具体的に説明します。たとえば、右ターンから左ターンに行く場合で説明します。さらに詳しく言うと、右ターンは左足が外足(前足)、右足が内足(後ろ足)となります。脚を曲げながら体重をかけ、右方向に曲がっていきますが、その時に左手のストックワークを意識し構えながらターンします。ストックを突くタイミングは、個々で違うので何とも言えませんが、スキーヤーがターンをし、もっとも圧力が加わった時(ターンのマキシマム)から、次のターンに行きながらストックを突く、というタイミングになろうかと思います。
 三つ目のイメージは、二つ目のイメージでストックを突くタイミングを説明しましたが、一つ目のターンで最終的に踏みつけている足は右内足となります(後ろ足です)。その右足を踏みつけながら、今度はその足でそのまま伸ばす動作にはいっていきます。つまり、ストックを突くタイミングも右足に体重を移動させ伸ばし始めると同時に突くといったタイミングになろうかと思います。もちろん、個人的な差異があるので、一概にストックを突くタイミングはこうでなければならないというのはありませんがおおむねそんな感じで突いていきます。
 四つ目のイメージは、以前説明させていただいた横滑り系の技術をここで使っていきます。つまり外向外傾の姿勢を意識するという事です。
 上半身の外向きを保つことで、スキーは横ずれを起こし、より安全に滑走可能となります。この外向外傾姿勢が、昨日説明させていただいた、ごく初歩的なテレマークターンとの違いとなります。このテレマークターン基本形では体の外向外傾と脚の伸展、荷重ポイント、ストックワークをある程度把握していただくことが大切かと思います。これがある程度できれば、およその斜面でも対応できるからです。
 次回は、ちょっと戻って巧くなるための超地味連(テレマークスキーでもプルークボーゲンはとても大切!みたいなお話)を書いてみます。

天気いいみたいですね。&テレマークスキーポイントレッスン⑦

 天気良さそうですね。なんだかそわそわしてしまいますが、今日は封印して仕事します。
 そう言えば、もう大分前からカワラヒワを見かけていましたが、ずいぶんやってくるのが早いようです。カワラヒワは渡り鳥ではなかったと記憶していますが、冬は雪のない方へ移動するタイプの野鳥だったと思います。
 そう言えばムクドリもやってきてもいいはずの季節になりましたが、彼らは未だのようです。雪が少ないとはいえ、生き物たちはある程度の気温にならないと本格的な活動をしないのでしょうね。


テレマークスキー編に入って、もう7回目となりました。
 昨日、最後の方で書きましたが、今日は初歩のテレマークターン過程をお伝えしていきます。
 まず、何回か目の回で説明したように、テレマーク姿勢で斜め前方に横滑りができるようになり、それを左右できるようになれば、テレマークターンの初歩的なものになるといったことをお伝えしてきました。ただ、別な方向に行く場合に、谷まわりからフォールラインに落ちていくなどが難しく、アルペンスキーを相当経験された方でないと出来ない場合があります。
 今回は、なるべく緩い平滑な斜面を利用し、谷まわりを意識する必要のない浅回りターンの練習を試みていきます。
 まず、直滑降をテレマーク姿勢で行います。次に上下運動しながら脚の入れ替えを行います。しっかりと後ろ足を踏めていることを確認しながら行ってください。次に、ほんのわずかに前足はインサイド側、後ろ足側はアウトサイド側を意識し、体重を落としこみます。ラフに体の重みを板に預けるといった感じで構いません。ここでほんのわずかにスキー板が曲線を描きはじめればそれでまずはOKとなります。あまり深く回し過ぎないようにします。このまわし過ぎというのは、板に圧を加える時間を多くしないということになろうかと思います。
 ある程度、曲がってきたらそこで板に対しプレッシャーをゆるめます。板への圧を脚を伸ばしながら緩める同時に、脚の前後入れ替えを行い、板は再びフォールライン方向へと向いていきます。再び今度は逆の方向へとターンしていきます。
 この段階では、まだ外向傾は意識する必要はありません。ある程度、体ごとターン方向へと向いていたとしても、それはそれでOKです。まずは、脚を入れ替えて、逆方向へ曲がっていくという動作の連続を意識してください。
 脚の入れ替えという技をマスターすれば、アルペンパラレルターンより早くテレマークターンが可能かもしれません。

明日は、ベーシックテレマークターンの練習をしていきます。 

もう3/6&テレマークスキーワンポイント⑥

 昨日から今日にかけて、降雪がある程度予想されていましたが、大したことはありませんでした。
 昨日は、その前の残務仕事や書類関係の雑務をしつつ、暢気に過ごしました。カモシカ調査にもまだ出る必要があるのですが、昨日の天気では無理でした。


今日は、テレマークスキーのスタンスと姿勢&時間があれば初歩的なテレマークターンに付いて書いていきます。
テレマークスキーレースにおいては、ブーツ1個分の前後スタンスがターン中に規定されていたのではないかと記憶しています。もちろん、私たち一般テレマーカーはそのような規制はありませんから、条件に応じ、スタンス0から目いっぱい開き切るまでの範囲となろうかと思います。
前後スタンスが0の時が、一番強いパワーを発揮できますが、バランスの難易度は一番高くなります。スタンスを広げれば広げるほど、バランスは良くなりますが、逆にエッヂングが弱くなり、筋力的な負荷も大きくなりますね。
 一般的に言われている、あるいは自分でも心掛けている基本的前後スタンスはブーツ半分です。実際のターン中には、ブーツ2個分くらいにまでなる事は普通にありますが、それ以上開くことは稀ですね。
 足裏の意識としては、テレマークを意識し過ぎると、爪先に近い部分に荷重するというイメージがありますが、バックルをあまり締め過ぎないレベルで土踏まずから爪先の全体を踏む感じを意識した方が良いかと思います。結果としては、母指球から爪先までという感じになろうかと思いますが、あくまでも前後スライドさせた結果、「止む無く踵があがる」、というイメージを持つことが大切かと思います。
 以前、ソウルスライドというテレマークスキー雑誌(今でもあるかどいうかは不明)があり、付録にDVDが付いていたのですが、その中で餌取氏のパウダー動画のコーナーがあったのです。新雪のトレーニングとして、餌取氏推奨のバックルを緩くし、バスケのシュートをイメージするとよいでしょう!みたいな言い方をされていましたが、あれは割といいイメージだったのを記憶しています。たしかに、あれをイメージすると後ろ足の適度な荷重をしないといけませんし、イメトレにはいいトレーニングだと感じました。
 私の話でまたまた恐縮ですが、21から本格的に基礎スキーに取り組み、すでに40年もどっぷりと基礎業界に居ますが、テレマークスキーを学び始めたのは、49でした。ですから13年目でしょうか。
 長くやっていたジャンルはアルペンスキーです。基本姿勢は前傾姿勢というもので、今では突っ込みどころはまさに全開ですが、昔は突っ込め!とか、前に、前に!などと言われていた時代がありました。
 2007年からテレマークスキーを始めたころ、冬は湯沢高原に教育旅行のイントラでよく頼まれて行ってましたが、イントラ業務が終わった後テレ練習をしたものでした。やはり、長くアルペンスキーをやっていたので、前傾姿勢が癖になっていて、前乗り過多でよく前転しまくりました。あんまり豪快に転んで、金具が外れたこともありましたね。このため、テレマークではアルペンポジションよりもほんの少し背骨を起こしたフォームを意識して滑りました。アルペンターンの経歴の長い方がテレマークスキーを行う場合は、このように体を幾分起こし気味にするとよいでしょう。
 ということで今日は長くなってしまいましたので、初歩的なテレマークターンはまた次回にいたします。

なにかありましたら、お気軽にコメントいただければと思います。
 ps:昨日、ひさびさに「ゆきむし2002」(昔のビデオ)を見ましたが、石木田さん、鈴木さん、阿久津さんなど巧いですね。基礎スキーの動画は、勉強のために見ますが、テレの動画は勉強になるし何よりも面白いです。

テレマークスキーワンポイント⑤ 他(自己流スキーは自分の引き出し)

 昨日は終日家に篭り、厨房仕事や掃除をしておりました。久々の家業でした。これからどんどん仕事ができると良いのですが。
 作業が一段落したので、残り物をもって平井宅に訪問しました。今年は家にいることが多く、薪をたくさん燃やしたので、在庫が少なくなってしまったとのことでした。
暇なうちに、雪も少ないので、薪を調達しに行かなくては、などと言ってましたね。  
 私は今日明日あたりに、家業の書類関係やカモシカ調査の関係などの確認を行いたいと思っています。


昨日のテレマークスキーワンポイントレッスンの最後で少し触れましたが、自己流の方の陥りやすいテレマークスキーの事を少し書いてみたいと思います。
 一つは、前乗りですね。前足乗りと言った方がいいでしょうか。以前、大原に来ていた方にそんな方がいて、黙々と練習をやっているのですが、ずっと前乗りのまま練習をされていました。
 テレマークスキーを初めて扱う方に多いのは、「テレマークスキーは踵を上げなければならない」という暗黙のルールに縛られるからだと思います。よって、取りあえず踵を上げるべきだという先入観でいっぱいになり、前足過重でバランスを取るという結果になるのだと思います。
 テレマークスキーはヒールフリーではありますが、基本的には踵をつけて滑っても何ら問題はありません。整地された斜面であれば、アルペンターンができる方であれば、踵を上げなくても滑れるでしょう。しかし、条件が悪くなるとアルペンターンでは対応できなくなります。そこで、前後のスタンスを取り、バランス保持に勤めた結果として、踵がフリーですから、フリーな部分が上がってしまうという現象に過ぎません。
 アルペンスキーポジションで横滑りを行い、その重心を動かさずに両スキーを前後にスライドさせてみるとよいでしょう。アルペンポジションで重心がほぼ一点(一点というとちょっと語弊がありますが、テレマークスキーと比較してという意です)だったものが、前後に分散し、バランスが保持できます。その結果、形態として後ろ足の踵が浮いている、という状態を確認できるでしょう。なおその時、後ろ足の過重点は小指側の小指球に辺りになっていることを確認してください。この横滑りを左右できれば、初歩的なテレマークターンになります。
 あと、陥りやすい形態としては、やはり後ろ足を曲げ過ぎる方が多い気がします。当然曲げが深くなればなるほど、次のターン動作が遅れ気味になりますし、こと、小回りターンでは次のターンきっかけが遅くなるので、結果、上体を振り込んでしまうという結果にもなりかねません。


上のレッスン内容の冒頭で、「自己流云々」という事を書きましたが、自己流そのものは悪ではなく、むしろ逆だと思っています。1スキーヤーが、たとえ傍から見ると変な動きであっても、本人はそれを今の自分の技術として使いこなしているわけであり、それはそれでその人の確固たる教程なわけです。自己流の不利な点は、言ってみれば無駄な動きにあるという事であり、その無駄な部分を省いていく、あるいは、プラスしていくという操作をすれば、おのずと合理的な滑りができ、楽な滑走が可能という事にあろうかと思います。
 私自身も、スキーを始めた小学生の頃から、21歳ごろまでは自己流で滑っておりました。その中で、自分なりに研究し、シュプールを確かめ、ああでもない、こうでもないと、まるで雪上ひきこもりのように孤独でありながら楽しくもありました。ですから、浦佐スクールの研修生になるまでの下地は自己流であったわけであり、それが基礎となっていることは確かです。
 浅草岳スキーツアーのご参加の方々も山スキーの大ベテランがたくさんおられます。その方々は御自分の基礎スキーを知っており、自分流教程を脳内に保持しているのです。そういう方々に「あなたの今の滑りはちょっとあれですよ」的な教えの押し売りはタブーというものです。
 自己流を極めれば、それはそれで極めの道となるのです。しかし、「でも、もうちょっと気持ちよく滑走できればなぁ~」などと少しでも考えていらっしゃる方のヒントになれば…という事でこういった試みをさせていただいております。

ちょっとしたことで心を奪われる&テレマークスキーワンポイントレッスン④

 昨日、昼頃から久々に小出に仕入れに出かけようと車で道を走っていると、なんと、アトリの大群が道路を横切っていました。よく確認する暇はありませんでしたが、アトリで間違いないと思います。かつて、4月ごろ、家の周辺に残雪のなか、アトリの大群が押し寄せているのに遭遇したことがありました。何百羽のその数は壮観だったと記憶しています。
 そういう、ちょっとしたことに出会うと、心の中に巣食う嫌なことも忘れ、自然の壮大さに目を奪われます。


今日はテレマークスキーの過重について書いていきます。
 指導員受験の際に、横滑りと直滑降での脚の入れ替えという種目が有るのですが、双方とも、後ろ足荷重をされているかどうかという評価基準がありました。故に、テレマークスキーではターン中は後ろ足荷重がなされている必要があるという事です。つまり、アルペンターンで右ターンの時には左足外足となりますが、テレマークターンで右ターンの場合は、右足の後ろ足荷重という事になり、荷重の足がアルペンと逆になるという事です。この、荷重足の相違は、アルペンスキーとテレマークスキーの最も異なる部分です。 
 で、ここらへんで多くの方々が、テレは難しい、という思い込みを感じてしまうのでしょう。しかしながら、普通に私たちが地面の上を歩いたり、走ったりするときに、踵はフリーとなっています。もともと、ノルウエーのテレマーク地方の移動手段として発祥したスキーがスキーの原点であると言われ、当然歩くときには踵がフリーなっていないと歩けません。さらに坂道があれば、そこを滑走することもしなければならず、そこからプルークやらテレマークターンが発明されたのです。そのことから、テレマークターンには長い年月の歴史があり、生活の一コマになっていたという事でしょう。
 テレマークスキーはヒールフリーであるため、アルペンポジションでも条件が良ければ問題なく滑走できますが、斜面が荒れていたり、凸凹があったりした場合は、前後差を取りバランス保持をしなければなりません。その際に、体の軸の真下に後ろ足があり、おのずと後ろ足荷重をしないと前後差を維持できないのです。
 では、後ろ足をどの位意識しなければならないかというと、スタンスにもよりますが、6対4から7対3くらい、あるいは半々という事もあります。これも、ターン中すべてこの割合で荷重するかと言えば、そうではなく、条件が良ければフォールライン手前あたりからテレマークポジションでも間に合うと思います。
 次回は、テレマークスキーに対しての勘違いについて…。みたいな内容で書いていきます。これが結構多いようなので。

雑感&机上テレマークスキーレッスン③

 昨日は、ひさびさに勤務先へ出勤。浅草山荘前の公園の見回りと樹木のチェック、決められた写真撮影場所にて、管理用の写真を撮りこんで午前中は終了。
午後も、雑用を言い渡され、夕方まだ終わらずで昨日は終了。
夜から体調が悪く、今日は外仕事はお休みさせていただき、明日小さな家業の仕事が入ったので、その準備でも出来ればと考えています。 




㉓からテレマークスキーの話に移行しております。
 一昨日は須原最終日で一つのリフトに集中していたので、多忙でした。そんな中、たまにテレマーカーに会えるとやはり嬉しくなります。暇な大原の時は、いちいち話しかけていて、NTNを使っている方に「どうですか?」などと声かけさせていただいておりました。
 前にも一度来たことのある中学生の男の子二人のうち一人が、スカルパブーツとG3でした。子供のテレマーカーは見たことがなく、感動でした。たまたま立ち番(リフトの乗車係など30分おきに係が替わるシステム)でしたので、一言二言声かけさせていただきました。しかし、係の交代がいろいろあるので、彼の滑りを見ることができず、残念でした。イケメンで、ウエアーセンスもばっちりで是非見たかったのですが残念です。
 最終日は午後から山頂勤務でした。顔は覆いモノで良く見えませんでしたが、たぶん若い青年だったと思います。幾分ロッカーでウエストが広いタイプの板で、ブーツはスコット、ビンディングはなんでしょうね、ケーブルビンディングには間違いなかったのですが、なんという製品なのかは不明です、頑丈そうな用具でした。その青年は、基本的な姿勢など無理のない滑りをしていましたし、朝から3時ごろまで休みなしに滑走していました。
 さて、いよいよ本題に入りますが、テレマークスキー編ではアルペンスキー編に較べてラフな感じで進めていきたいと思っています。前回で述べたように、イージーさがテレマークスキーの売りでもあるので、そこら辺から始めていきます。
 アルペンスキーは、左右の脚をそれぞれ同時にズレさせていかないと初歩的なパラレルターンになりません。一方、テレマークターンは前足が次のターン方向に一歩踏み出した状態になります。つまり両足ごと迎え角を作るのではなく、片方づつ、探りを入れながら次のターンに入っていくわけです。一方の後ろ脚は、角を立てず、そのままフラットを意識すればおのずと前足と同調し、同じ軌跡を描くはずです。 
説明がだいぶ遅くなりましたが、テレマークスキー用語で「前足」「後ろ足」という単語が出てきますが、そのものズバリで、前に出た足を前足、後ろに引かれた足を後ろ足と読んでいます。これはアルペンスキーの外足、内足と類似しています。
 一人の人間が、テレマークターンを行うために前足を踏みつけながら迎え角を作りターンを開始すれば、後ろ足もそれを追いかけざるを得ないという状況になります。言い変えると、緩い斜面を滑りながら右に歩き、少し曲線を描いたら、「気を付け!」の姿勢(ニュートラル)、その後左に滑りながら歩く、→ニュートラル→右に歩く→ニュートラル→左に歩く。この連続がテレマークターンの初歩となります。
 もちろん、最初から連続のターンを追求する必要がないので、緩い、斜行系の斜面から両足が時間差でズレ落ちる感覚から身に着けていけばいいでしょう。
 ゆくゆく上体の外向外傾姿勢は必須なモノとはなりますが、初歩的なレベルでは体ごとターンの方向に向いていて構いません。あた、後ろ足荷重を過度に意識する必要はなく、両スキーに同じくらいの過重を意識するようにします。

なにかありましたらお気軽にコメントをお寄せください。

雑感&机上テレマークスキーレッスン②

 昨日で須原の営業は終わりました。今年から大原から須原にお世話になっているのですが、須原フリークが多いですね。たくさんの常連さんによって成り立っているスキー場であると感じました。小雪もあり勤務することができませんでしたが、こんなスキー場だったんだ、と色々知る事が出来た気がします。

さて、昨日から一般的なアルペンスキー編(中級者レベルを対象)から、テレマークスキー編へと移行しております。
実は、テレマークスキー指導員を受験する際に、学科試験があり、テレマークスキーの歴史だとか、理論、安全、指導員としての責務など、いろいろ勉強いたしました。しかしながら、せっかく勉強したにもかかわらず、この絶対的なニーズの無さに笑いさえこみあげてくるという状況なのです(苦笑)。と、また横道に逸れてしまいましたが、その理論の中にテレマークスキーの利点という項目があったのを記憶しています。①ロングホイルベース②ターンがイージー③ターンの楽しさ④ストロークを長く使える、などの項目があったと記憶しています。①のロングホールベースというのは、アルペンスキーと違い、踵がフリーであるために左右と前後にバランスを分散しないといけないという、逆に不利な部分もあるわけですが、小さな起伏などをクリアするシチュエーションでは、それが良い方に作用するという部分での利点です。ただ、むしろこれは利点というよりも、起伏のある場面を滑走する際には、前後にスタンスを長くとらないと難しいという事だと思います。②のターンがイージーというのは、簡単という事なのですが、2本のスキー板をそれぞれ分散させてずらしていくので、ターンのきっかけが掴みやすいという事になるのでしょう。言い方を変えると、外スキーを先に動かせるので迎え角が簡単に作れてしまうという事だと思っています。③の前に④のストロークの長さという事について少し。これはアルペンスキーの踵固定用具に対し、蛇腹で足指先の関節を曲げることができ、かつ、踵がフリーであることから、ほぼ直立姿勢から大きくしゃがみこんだ低い姿勢まで有効に使えるという事です。これは利点というよりも、ロングストークを活用し、前後の開きを大きくした場合に、結果的に低いポジションになるという形態上のものであり、利点と言えるかどうかは疑問ですが。
 ④。ターンの楽しさ。私的には、これが一番ではあるまいか?と思っています。
 2016年冬から、技能検定のレベル2レベル3を取るために練習、そして合格し、2017年には、ふたたび指導員検定にチャレンジするも×。ようやく2018の春を迎えるという、ここ数年は苦行の連続でした。一方で、スキーツアーで先頭を滑走となるとテレではなかなか厳しいものがあります。そんな折、昨年大原で、ある程度滑れる子供たちを教える機会があり、テレ板でレッスンに出ました。雪は少し湿った滑走性の良い雪質。前足で雪面とコンタクトをとり、後ろ足で荷重しつつ雪面を捉えていくありさまは、まさに「スーッと行く」感じです。このソフトで、食パンで言うならば「生BREAD」な味わいとでも言いましょうか。癖になる足の感触ですね。まさにスキーにおける「合法麻薬」的な世界です。ですから、これを具体的に説明すると、やはり操作してるよなぁ~という感慨ですか、右足君と左足君がそれぞれに役割分担しながらターンを組み立てていく、絶妙感みたいなものの虜になるのです。
 前足で次のターンを模索し、後ろ足に「これなら行けるぞ」的に様子を伝え、後ろ足はターンを締めくくっていくという風な、ひとつのターンにそれぞれのストーリーが織り込まれているのです。アルペンスキーに「なんかなぁ~」と感じている方には、(ちょっと古いですが)、「今でしょ!」ですね。
 という事で、なんか悪乗りしてしまいましたが、こんな感じで書き進めていきたいと思っております。

なにか、コメント等あれば大歓迎ですので、どうぞお気軽にお寄せください。





3月に入った&机上テレマークスキーレッスン①

 コロナにより学校が休校になったりで、スキー場の団体は一昨日で終了。なので、今日は須原スキー場営業最終日となりました。
充実したというか、精神的に疲れたというか、稀に見る2月でしたね。そんな中、1/19に浅草岳嘉平与のボッチ(スノーシュートレッキング)、1/25弥彦山信仰登山、1/26に大原スキー場跡から田小屋尾根経由で守門岳~大岳~保久礼経由で二分下山(カンジキトレッキング)、2/2は大岳不動平(スノーシュー歩きでテレマークスキー滑走)、2/21は白崩ルートから浅草岳(テレマークスキー)など、厳冬期登山をすることができました。いろいろときつい2月ではありましたが、自分を深めることができた気も致します。 
 3月に入り、従来の勤務仕事もちらほらあるようですし、家業も少し。カモシカ調査にも3日4日ほど出る必要があろうかと思っています。


机上レッスンとしてのネタはまだまだあるにはありますが、これ以上のものは大変マニアックになり、級別テストだとか、一般ゲレンデ対象のスキルのみを追求したお話になるので、それらを目指す方は、もっと上手で実績のある方々に直接指導を受けていただければと思います。
 今までは、どちらかというとアルペンスキーを対象にした話をさせていただきましたが、本日からはテレマークスキーのお話をさせていただきます。、とは言っても、著しく違う部分が多いわけではなく、雑談程度の話となりますことを最初にお断りしておきます。

遡る事、2006年5月10日ごろ、「阿賀の流れのように」氏・小千谷М氏・私、の三名で毛猛山山行をしておりました、山頂の激藪を踏み、帰路に向かう途中の鞍部でゆっくりとランチタイムをしているときに、М氏は1年ほど前に始めたテレマークスキー論議を始めたのです。
当時、私はテレマークスキーなどに興味がまったくなく、奇異なスキーとして見ていました。
 М氏。テレマークスキーは後ろ足に荷重するんです。私。んな、ばかな、外スキーでしょ!、と、テレマークスキーをやったこともないくせに力説する私。そんなやりとりをなつかしく思い出します。
 М氏に触発され、その7か月後に須原スキー場でМ氏から直々に指導を受けるわけですが、そこでこの奇妙なスキーに嵌ることになったのでした。
 アルペンスキーに比べると、実に頼りなく、ずるずると横ずれし、しかしそれが絶妙に楽しく、如何にも自分でスキーを運転している、操っているという醍醐味を感じるスキーだったのです。
 しかし数年後、ワンパな自分の滑りに飽きてしまい、テレマークスキーという存在が希薄になったころがありました。BCではまだまだ歯が立たずで、小回りも今一つでした。のちに指導員検定を受験し玉砕。これで、やっぱりまだまだ下手糞だな――という気になり、コブや悪雪にもチャレンジし、なんとか浅草岳スキーツアーでも先頭で滑れるレベルにまでなったのでした。(先頭で滑ってこけたという失態もありましたが)
 テレマークスキーで人工的なゲレンデを滑る場合。なんというか、いわゆる基礎トレーニングですね。そういう範疇になろうかと思っています。自分の体の捻りだとか、そういうものを確認しながら滑走する、儀式みたいなものを感じます。
 テレマークスキーの本分はやはりBCではないかという気がします。アルペンスキーのさらりとしたライトなものではなく、ワンターンワンターンがいちいち濃いのです。ただ、残念ながらアルペンスキーよりも腿の筋肉に負担がかかるという事は認めざるを得ません。テレマークスキーは疲れない‥‥といった説もあるようですが、私は疲れます。ただ、ちょっと疲れる様な滑り方をしていた、という事実もあるわけですが。
 テレマークターンの濃さって何?という事ですが、やはり操作性でしょうか。アルペンターンは操作をするというよりも、荷重やほんのちょっとの捻りだけでターンが開始されますが、テレマークスキーは一つのターンを前足でリードし、後ろ足で制動をしていくという、両足を巧みに用いてターンを連続していく操作性が求められます。故に、アルペンターンの2倍楽しめるという事になります。 
 ということで、今回はテレマークスキーのさわりのお話だけで終わってしまいました。
 以上、アルペンスキーに関するお話は㉒で終了し、今日からはテレマークスキーのお話㉓に代えさせていただいております。次回から、ふたたびテレマークスキーのお話(技術的な糞真面目な話よりもライトな感じで書いていきたいと考えています)を引き続き書いていこうと思います。

今ほども、屈強の?若い方々(でしょう、たぶん)が守門方面へと車がどんどん入っていったようです。本高地沢の登り返しか、あるいは硫黄沢あたりへダイブでもするのか、たぶん1日中登り返しては滑るというのを繰り返し、晩まで滑り倒すのでしょう。うらやましい体力ですね。