スキー雑談⑨ その他

 昨日、午後から家業のため、あちこちと掃除をし、なんとか夕飯に間に合わせました。この時勢と少雪でいくつかキャンセルがあった中、こうしてきてくださるのは実にありがたいことです。


昨日の続きです。
 iさんの体形は重戦車のようで、繊細な緩斜面での滑りはもちろん、急斜面や悪雪での滑りも圧巻でした。一方のОさんはコブ斜面のスぺシャリストで、まるでスキーのソールに吸盤が付いているようにハイスピードで滑れる方でした。
 私たち研修生も、初心者さんなどのレッスンを行ったり、雑務をこなしたりしていましたが、夜の7時になるとスキー指導員・パトロール・従業員全員のスキー研修が約2時間毎夜行われました。そこでの講師は日毎に代わり、Оさんやiさんより古い時代の元デモの方が教えてくれることもありました。その方はsさんと言い、とにかくスパルタ式というか熱血指導をされる方でした。コブがたっぷりある山頂から下のリフトのリフト乗り場まで小回りターン(昔で言うウエーデルン)を連続7本くらい滑らされたり、コブのなかを片足で滑らされたりしました。コブの中を片足で滑るのは、大変でしたが、整地されたバーンでは浦佐時代にできるようになった気がします。
 浦佐はスクールのお客さんがメインのスキー場でしたから、コブはよくできました。圧雪車は基本的にコブは滅多に削らず、ほぼ残ったままでしたから、急斜面は常にコブ斜面でした。コブばかり滑っていると、コブにしか対応できず、たまにコブが削られるてしまうと、逆にスピードオーバーになる事がままありました。
 朝一番に指導員詰め所に行き、掃除や除雪を行い、自主練。それからコース別の担当のレッスンに就き、昼食は生徒さんと一緒に摂ることになっていました。コースは、一般的な常設クラス(「日帰りで2時間単位のもの)は、主に非常勤の指導員が担当し、我々常勤者は3日間コースが2種類、1週間コースなんて言うのもありまして、それをそれぞれ担当させられたのです。昼食の後はなかなか疲れて練習する気になりませんでしたが、なんとか頑張って数本滑って練習しました。午後も2時間レッスンしたあと、従食の時間まで自主練。さらにナイター研修2時間というスケジュールでしたから、かなり疲れました。そんな殺伐とした環境でしたが、生きているという実感がありました。
 浦佐での思い出や逸話は他にもたくさんありますが、これで止めます。このコーナーも、もう一回やって切りのいいところで終了いたします。

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この記事へのコメント

鰤鯛鱒鮎
2020年03月25日 12:25
 修行時代のエピソード、楽しく読ませていただいています。きっと誰にも同じような修行時代があるのでしょうね。浦佐SSにはいろんな先輩がいらしたと思いますが、きっと先輩諸氏も風さんのような若いスタッフが可愛く、また羨ましく思っていたと想像します。
 先回のエッセイも合わせて思い出したのは、植村直己さんの「青春を山に賭けて」。地道なトレーニングを重ねて、謙虚に、愚直に、悩みながらも大胆に世界に飛び出していった植村さんの若き日々が、飾らない文章で、爽やかに描かれています。私たちは植村さんの最期をもちろん知っている訳ですが、青春の輝きがその人の根幹を形成するのかなと。
2020年03月25日 15:01
こんにちは。
浦佐つながりは確かに強いものがあり、FBなどでもずいぶん昔の先輩後輩同僚ともにバーチャルだけですがお付き合いをさせていただいております。
青春を一言で集約すると自分は浦佐時代しか浮かんできません。それほどのめり込んだ数年でした。
 植村さんにしても、三浦さんにしても矢張どうしようもない虫の魂のようなものが湧きあがり、たぶんですが、どうしようも無くなるのだという気がします。どうしてもそこに行かなければならないというか、それしかない内という魂の叫びなのだという気が致します。
2020年03月25日 15:01
気持ち玉、ありがとうございます。
鰤鯛鱒鮎
2020年03月25日 18:30
 ナショナルジオグラフィック日本版のページですが、植村直己さんの評伝が掲載されています。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20110607/272972/
 植村さん自身による文章も味があって良いですが、編集者の目から見た植村さんの姿もまた様々な示唆に富んでいます。

 植村さんの足跡(そくせき)を振り返る時、誰にとっても生きてゆくことは大変で、難儀で、複雑で、なかなか思い通りにならない、でもその尺取虫の確かな歩みは五大陸の最高峰に続き、グリーンランドの雪原を駆け抜け、マッキンリー(今はマウント・デナリ?)での永遠の眠りに至り、そして今でも多くの人の心に確かなメッセージとなって生き続けている。こんな殺伐とした世界だけれども、その足跡とメッセージは、世界をほんの少しかも知れないけれど「良い場所」に変えてくれている。そんな気がします。

 確か自分の本箱の中に、「青春を山に賭けて」を今でもKEEPしていたと思う。この機会に読み返してみよう。富山県警山岳警備隊の皆さんによる「ピッケルを持ったおまわりさん」も山の名著ですね。
2020年03月25日 20:39
今晩は。
冒頭の二編を読ませていただきました。植村さんの足跡や経歴は今までほとんどイメージしか知りませんでしたが、あらためて偉大な人だったのですね。
ナチュラルに夢を真摯に求めつつ、その裏ではとてつもないほどの勤勉さがないと無理だという事でしょうね。たぶん植村さんは山を宿命のように感じていたのかも知れませんね。常人には計り知れないものがあります。
機会を見て読破したいと思います。ご紹介ありがとうございました。