スキー雑談⑥ その他
昨日は、やはり予定通り妻とフラワートレッキングに行ってきました。朝方はスキーの準備をしつつ、悩んでましたが、山スキーは回避しました。
結果的に、ほど良い運動にはなりましたし、コース把握にもぽなりましたし、まぁ良かったのかなと。ただ、山スキー仲間の動向を後で知り、やっぱり行けばよかったかな~と思ったのでありました。
結局、角田山に行ったのですが、予想通りすごい人人人でした。花よりも人の数が多いというか、なんというか。
昨日のスタイルは、まったくに普段着にカジュアルな長靴と無帽、無手袋というスタイルで、山をイメージできるのはザック位なものでした。やはり弥彦山の表参道登山道の登山者に較べると皆さんビシッとされてました。弥彦表参道は、ソフトドリンク一本ぶら下げてほぼ普段着で登られる方も多く、気が楽というか、皆さん気さくなイメージですが、角田山は意外とそうでもない感じがしました。
帰りは、途中灯台コースとの分岐で妻と別れ、私は昔登った懐かしい灯台登山口に下山することにしました。あらためて長いコースと知りました。この灯台、昭和三十四年に建造されたものらしく、私よりもやや新しい年代でした。
スキーに一番のめり込んでいた時期は、20代前半でした。三年半勤めた会社を辞め、浦佐スクールの研修生として入り、一級を取得。その後、準指導員を受験するわけですが、その頃が一番熱かった気がします。
シーズンが終わっても、イメトレしたり、毎日大原スキー場まで走ったり、軽い筋トレなんかもやっていた時期がありました。また、守門岳大白川登山口手前の上祝沢という沢の大滝雪渓めがけ、スキー靴とスキーを担いで沢を登り滑った記憶もよみがえってきます。また、まったく雪のない時期にも、ストックだけ持って大原スキー場のゲレンデ内を小回りターンで滑るイメージで駆け下りたりもしました。
子供時分から運動神経は疎い方で、どちらかというと絵を描いたり文章を書いたりする文科系の方が得意だったので、スキーに関しても子供時代は下手糞な部類でした。ですから、人並の資格を取得するためには人並み以上の努力が必要でした。つまり、資格取得やイントラとしての勤めなどから、スキーなど心底楽しめるジャンルではなかったのですが、まぁ、上手になりたいというその過程が楽しみでもあったのでしょうか。
スキーが楽しい、と思い始めたのは、山スキーをやるようになってからです。これは山に登るというプチ旅とともに、旅の帰路を誰の手でもなく自分の足で滑り切りパフォーマンスできるという、ひと粒で二度おいしい味を楽しめるという事でしょう。ただし、そこにいたるまでの資格取得の時代や、低速でチマチマと基礎反復を繰り返してきた地道なモノの集大成でもあるような気も致します。そういう感じで、やっと楽しめる時期に差し掛かったころ、さらにテレマークと出会い、ますます山スキーというジャンルに入り込んできたのです。と同時に、皮肉にも加齢という天敵がやってくるといった感じでしょうか。
ガタピシと体が軋む中、昨日のようなイイ天気に山スキーを回避し、里山巡りをするのもまたいいものです。そして、帰ってきては、思うのです。やっぱり、山スキーに行けばよかったな……
と。
この記事へのコメント
あ〜、ここスキーだったら楽だろうなぁ〜 と、春先の林道アプローチでの「あるある」です。
んで、ピッケルとかも、ザックより長いと、すぐひっかかったりする場面あるし、かといって短いと雪稜歩きで難が有るし。
例えば、ステップソール+それ対応の革靴を投入しても、アフターメンテナンスを伴いますよね。その前に金銭的な事案も。そりゃぁ 当然、あこがれはありますよ。あ〜 Oじやンしょ みたいになれたらなぁ ってね。
林道歩きには、テレ板のステップが刻んであるスキー板が好ましいと思いますね、やはり。
山用具もそろえると馬鹿にはならないですよね。私の場合、山の整備という場面が圧倒的に多いですから、無雪期はほぼ長靴と作業着で済んでしまいます。ほかの山に行きたくてもなかなか登山道整備が主ですから行けません。