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ムジナ沢登山道での迷いトラブルが、今年に入って数回起きている。 昨日も一件、道を探したが見つからず、再度桜曽根まで登り返し林道を下ってきたという。 雑用の作業中であったが、3時少し前にシロとムジナ沢登山口から歩き始める。 残雪期の時のために、赤スプレー缶を数本持ってきたので、道の近くの杉の木やブナに吹き付ける。 ヤジマナ沢を渡渉した後、その上部に間違いやすい箇所があった。間違っている箇所にしっかりと踏み跡は下っているので、そこを下った人は殆ど通ったことになる。もう少し上まで行き、官民界道に入らないよう軽く虎ロープを架けた。その下の問題の箇所にもロープを結ぶ。 登山道にはたくさんのスギヒラタケが出ていた。 その昔、登山道はこのムジナ沢から入るしかなく、浅草岳に登るだけでも一泊しなければならない時代があった。車が主流でなかった頃は、音松荘で前泊し、登り終えてから後泊すると言うことも普通であったと考えられる。 大白川駅から大白川部落に差し掛かる箇所で、その昔40年ほど、守門荘の親父さんが山道に腰掛けて客引きをしていたような記憶がある。はたしてそれが客引きであったかどうかは定かではない。 大白川部落の途中に赤坂という部落があり、そこに守門荘の本宅の宿があった。今はもうない。 元の守門荘本宅の家の隣が、友人の平井氏の家である。 守門荘の親父さんは、大原に近いところでも山小屋を経営していたようだ。大白川部落から大原スキー場に沿いに登っていくと、途中で右に入る道がある。ここをしばらく行くと守門荘の山小屋跡がある。昔はここから上祝い沢右岸に添って山道があったようだ。あったはずである。 冬が終わり、未だたっぷりの雪があるが、割りと長靴だけでも歩ける時期になると、お袋に連れられて登山者が捨てた残骸を漁りに行くことがあった。惨めな表現だが、その行為は極自然であった気がする。何しろ食べるものがある場合もあったからである。 チョコレートや缶詰なども拾って食べた記憶があるし、登山者の捨てたゴミが楽しみでもあった。 当時は、要らなくなった食べ物やゴミなどをいとも無造作に捨てていったのだろうと思う。それが不道徳だとか、環境破壊だとかという時代ではなく、要らないものは廃棄するという極シンプルな時代であったのであろう。 良い匂いのする固形燃料は美味そうだったが食えない代物であった。 |
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私もこの間の下りで渡渉点手前のその場所で、踏み跡に乗ってまっすぐ行ってしまい、ちょっと戻って目印を見つけました。やっぱり皆さん悩むか。。。 |
イケ 2008/10/20 09:07 |
ムジナ沢から桜曽根まで行ってやっと一段落し、それから徐々に高度を上げて、ようやく浅草岳に着くというプロセスは今後も重んじられるべきですね。 |
kaze 2008/10/20 09:36 |
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